海の教場
-
<119>必死に自転車を漕ぎながら「卒業おめでとう!」
桃地は予定時刻ギリギリに、西舞鶴の田園地帯に到着した。 国道の路肩に白の軽トラックが停まっている。運転席から、額にタオルを巻いたおっちゃんが顔を出す。 「遅いよ桃ちゃん、間に合わないか…
-
<118>彩子がゆっくりと親指を立てて見せる
桃地は移植手術を終えた執刀医の志村に、深く頭を下げる。志村が困ったように眉根を寄せた。 「がんばって十分早く切り上げましたよ」 「え……?」 「奥さんに強く言われましてね。桃地さん…
-
<117>夏用の白い第二種制服の姿が目に浮かぶ
九月二十七日。桃地はスマホで鐵と話をしていた。 京西大学病院の移植医療センターのロビーにいる。 「そろそろ主計3組の点呼が始まります」 海上保安学校60期卒業式が行われている講…
-
<116>俺とまた会いたいなら辞めるなよ
桃地の告白に、教室中が静まり返った。 悲愴な顔が殆どだった。 若者は正直だ。 金城がまずはがんばった。強張った笑顔を作り、皆を鼓舞する。 「いや──よかったじゃないです…
-
<115>桃ちゃんと一日でも長く生きたい
桃地は流木のブランコの隣に座る余命わずかな彩子に、言い聞かせる。 残された一日一日を、精一杯楽しもう、と。 「次の春が巡ってきたら、目をキラキラさせた新入生たちが入ってくるんだ。送り出…
-
<114>これからも楽しいことがいっぱいある
流木で作ったブランコは西を向いている。夕日が見えるように、西向きに設置したのだ。京丹後半島の山々が海の向こうに見える。その稜線に赤い縁ができて、日が落ちようとしていた。 今日一日が終わる。 …
-
<113>流木で海保版ビーチブランコを再現
彩子は困惑しているが、拒否はしなかった。桃地が押す車いすに乗り、教舎の外へ、運ばれるままになっている。 岸壁のボートダヴィットを抜け、右へ曲がって桟橋に出る。台風五号で桟橋周辺を埋め尽くして…
-
<112>教官夫人として学生の料理を試食
九月七日、卒業式まであと二十日に迫った。 十六時、桃地は一旦海上保安学校を出て、舞鶴総合病院へ向かった。 彩子の病状は小康状態だ。自分でトイレへ行ったり、着替えたりすることができる程…
-
<111>桃地教官には内緒にと言われていたけど
二十時、桃地はいつまでも学校の駐車場にとめたマークXジオの中にいた。運転席のシートを倒し、腕を枕に、ガラス越しの夜空を見上げている。 今日はいい一日だった。 彩子の一件で、桃地は教官…
-
<110>俺、海上保安庁が好きです
大作娯楽映画をみんなで見終わったあとのような高揚が視聴覚教室に残る。 桃地は成瀬とフィルムの片づけをした。彩子を探しながら、泣いてフィルムを見ると思っていた。ただの楽しい上映会だった。 …
-
<109>記録フィルム上映に次々と人が集まる
海上保安庁の記録フィルムを見ているのは、あくまで彩子の葬式用の映像を探しているから──。 桃地の告白に、成瀬は戸惑っている。 「去年の秋に余命一年って言われたけどよ。全く、医者の見立て…
-
<108>ふんどし姿の学生たちが次々と海へ
フィルムに音が入っているかもしれないが、スピーカーとつなげていないので、無音だ。 海上保安学校の全景画像が出てきた。モノクロだ。桟橋の形は今と変わらず、ボートダヴィットや本館、機関実習棟もその…
-
<107>書架に埃をかぶったフィルムケース
翌日の放課後、桃地は再び学生寮の成瀬を訪ねた。 成瀬は途方に暮れていた。 スーツケースの中の荷物が増えていない。 桃地は声をかけた。 「成瀬。ちょっと手伝ってほしいこと…
-
<106>最後まで人のぬくもりに包まれ幸せでした
前略 突然のお手紙、大変失礼いたします。 私は和歌山県紀和浜町に住む山中と申します。町役場に勤める者です。 三年前、故郷の紀和浜町に小さな一軒家を立て、妻と生後四カ月になる娘と…
-
<105>手紙を読む瞳が濡れていく
翌日、桃地は落第点を取った平牧の補習授業をした。 窓の外のグラウンドで、礼服姿の学生たちが向かい合い、儀式を行っているのが見えた。 校旗手伝達式だ。 金城が白手袋の手で校旗を…
-
<104>怒りを抑え、退職願を成瀬から取る
成瀬の手にある封筒の『退職願』の文字に桃地は固まる。流木の処理で手を怪我したのか、成瀬の両手はばんそうこうだらけだった。 「医者になると決めたのか」 「はい」 つらつらと口上が始…
-
<103>成瀬の手に退職願の封筒
台風五号被害から二週間経っても、海上保安学校は流木の処理に追われた。 授業を止めるわけにはいかないので、作業ができるのは放課後だけだ。 教官らはこの不毛な作業を訓練の一環として利用で…
-
<102>海に青さが戻るにつれ彩子の容態は悪化
台風から一週間後には授業が再開されたが、放課後の補科活動は中止のままだ。 早く目の前の海の流木をどうにかしないと、巡視船みうらは戻ってこられないし、小型船舶操船の実習もできない。 比…
-
<101>体は引き締まり、顔つきも精悍に
海上保安学校の大型バスを出し、舞鶴海上保安部の桟橋に接岸した巡視船みうらを迎えに行った。 防波堤に守られた舞鶴海上保安部の桟橋は流木が押し寄せる被害はなかった。 汽笛を鳴らしながら入…
-
<100>海からの流木が無尽蔵な山と化す
週明け、車で海上保安学校に出勤した桃地は正門に入ったところで思わずブレーキを踏んだ。 まっすぐ本館へと伸びる道の両脇には、芝生が整備されたグラウンドがある。 いま海側のグラウンドは、…