佐高信「追悼譜」
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野中広務が怒りを露わにした…”政治屋”青木幹雄の実像
1989年4月26日朝、時の首相、竹下登の秘書、青木伊平が首を吊って自殺した。竹下の金庫番といわれた青木の死はリクルート事件による疑惑で追いつめられていた竹下を救うことになったが、また、竹下の元秘書…
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上岡龍太郎には桂米朝と共通する「品のある笑い」があった
テレビ番組で一度同席しているはずなのである。しかし、それがどんな企画でだったのか思い出せない。言葉をかわしたのかも覚えていないが、静かで品のある印象だった。 父親が人権派の弁護士だったという…
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「料理の鉄人」故・陳建一を育てた麻婆豆腐の母…“鉄人なんて言われていい気になるな”の格言
吉永みち子の『麻婆豆腐の女房』(光文社知恵の森文庫)は陳建一の母、洋子を描いた本である。洋子はNHKの「きょうの料理」で知られる陳建民の女房だった。 この本を基にNHKでドラマが放送された。…
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奈良岡朋子は年を重ねても艶を失くさなかった稀有な俳優だった
従弟の結婚式から半世紀経ったいまでも、奈良岡のスピーチの語り出しが忘れらない。 「役者は脚本がなければセリフが言えないんですが・・・・」 その後をどう続けたのかはまったく記憶に ないの…
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住友銀行を暴露した國重惇史はネアカで無手勝流だった
ベストセラーとなった『住友銀行秘史』(講談社)の著者で元同行取締役國重惇史は、鼻と口に大きなアザをつくって現れた。酔っ払って転び、大地とキスして30針も縫ったというが、額面通りに受け取ることはできな…
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詩人・富岡多恵子は安易に「女性」に逃げこまなかった
この「追悼譜」第5回で世界的バイオリニストで声楽家の佐藤陽子を取り上げた時、池田満寿夫のパートナーだった佐藤を私は「外交官だった岡本行夫の前妻に過ぎない」と書いた。池田のことばかり触れられて、私と同…
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美空ひばりの歌声に震えた「バナナ・ボート」のハリー・べラフォンテ
1927年生まれのベラフォンテは城山三郎や藤沢周平と同い年だった。キング牧師と知り合って、その活動を支援し、南アフリカ大統領のネルソン・マンデラとも親交を深めた。 10歳下の美空ひばりとのこ…
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逆境を活かし外資系を生きた日本IBM”中興の祖”椎名武雄の淡々さ
「平松組」というのがあった。通産官僚から転じて大分県知事となり、一村一品運動で鳴らした平松守彦を中心とするグループである。経営学者の野田一夫や平松と同郷の筑紫哲也、多摩大学学長の寺島実郎、そして椎名ら…
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多くの世界王者を育てた日本ボクシング界の名伯楽・米倉健司
自身もボクサーだったが、むしろ、ヨネクラジムの会長として多くのボクサーを育てたことが記憶されるべきだろう。 世界王者だけでも柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、川島郭志の5人を輩出した…
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岸田・安倍との”勝負に負けて相撲で勝った”溝手顕正のリベラルさ
河井克行、案里夫妻のとてつもない選挙違反事件は2019年の参議院議員選挙で同じ広島選挙区の溝手を蹴落として、広島県議だった案里を当選させようとして起こったものだった。自民党本部が河井陣営に1億500…
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坂本龍一と名物編集者だった父と脱原発の新右翼
新右翼といわれた鈴木邦男の「お別れの会」が開かれるのと時を同じくして坂本龍一が逝った。 この2人に共著があることに触れた追悼記事はなかった。その対話は2014年に出ている。 題して『愛国者の…
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知る人ぞ知る山形の俳人”孤島のランボー”とも呼ばれた斎藤慎爾
知る人ぞ知る深夜叢書社であり、知る人ぞ知る斎藤慎爾だった。ユニークな出版社の深夜叢書社からは上野千鶴子の句集『黄金郷』も出ている。自らも俳人である斎藤が若き日の上野の句を評価したからだろう。 …
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イトーヨーカ堂創業者・伊藤雅俊には成功者にありがちな押しつけがましさはなかった
いまから35年も前にインタビューしたのに伊藤が次の話をした時の印象は忘れられない。それほどに衝撃を受けた。 敗戦の年に21歳だった伊藤は戦中派中の戦中派で1割から2割の男性が戦争に行って亡く…
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大川隆法は幸福実現党をつくる前、三塚博や小池百合子や丸川珠代を応援していた
大川が師と仰いだ渡部昇一が亡くなった時、郷里の『荘内日報』に「大川の先生が渡部」と書いて批判したら、渡部ファンからブーイングが来た。残念ながら私は渡部と同郷なのだが、大川は渡部との対談で「渡部先生の…
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ノーベル賞文学賞を受賞した大江健三郎は文化勲章は辞退した
大江の死を知って、黒川祥子の『同い年事典』(新潮新書)を開いた。 1935年1月31日生まれの項に大江と成田三樹夫が並んでいる。悪役が似合った俳優の成田は山形県酒田市の出身で私の小、中、高の…
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本田宗一郎の声は豊田章一郎には届かなかったのだろう
いま、私の評伝選を出してくれている旬報社から、およそ20年前に『本田靖春集』全5巻が出た。私よりひとまわり上の本田は、私が敬愛するジャーナリストである。この全集の推薦者が五木寛之、澤地久枝、そして筑…
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西山太吉はメディアや岸田文雄に絶望して憤死したのだ
国家の嘘を暴いた元『毎日新聞』記者の西山太吉の死を各新聞を含むメディアがそれなりに大きく取り上げている。しかし、報じたメディアは西山の怒りがそのメディアにも向けられていることを知っているのだろうか。…
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公明党元国会議員・浜四津敏子の死はなぜ、2年もの間隠されたのか
旧姓高橋の浜四津と私は慶大法学部法律学科の同期生だった。2年余り前に亡くなっていたのに遺族の意向で党側が発表を控えていたというのだが、何か秘密めいたものが臭う。 そんな浜四津と、一度だけ、盗…
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政治記者・田勢康弘は自身の出版記念会に時の首相を招いて舞い上がった
同郷、同学年ながら、私はその死を惜しむ気にはなれなかった。一時は親しかった田勢が時の首相を招いて大々的な出版記念会をやったので、私はあるコラムで次のように批判した。1999年のことである。 <…
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革新リベラルを潰した「社会党のプリンス」横路孝弘
保守リベラルは「加藤の乱」を遂行できなかった加藤紘一が潰し、革新リベラルはその2歳下の横路が潰したと私は思っている。 東大法学部を卒業して弁護士となった横路は父・節雄の後を継いで「社会党のプ…