堀江謙一 元気は「頑張らない力」から
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最後は「あしたのジョー」のように真っ白になって燃え尽きたい
ヨットを始めた頃から、海以外、行くところがなかったんですよ。それまで陸の上で、特別なことをしていたわけではありませんから。 コロンブスもそうだったように、多くの歴史上の人物は海を渡って冒険、…
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「100歳まであと16年しかない」ヨットがひっくり返ったときに考えていたこと
「人生100年時代」と言われるようになりました。 ボクは今、84歳ですから、100歳まであと16年です。16年もあるのか、それとも16年しかないのかと問われれば、やはり「あと16年しかない」で…
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経験や出会いは人生の財産 「欲張りであれ、愚直であれ」を貫いてきた
1964年、サンフランシスコにいた時に、村上雅則さんが日本人初のメジャーリーガーになったのを現地の新聞で読みました。1面に赤い字で大きく紹介されていました。米国で日本人が活躍している姿を見て、同じ国…
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「世界初」は気分のいいもの 経験を積むたびに挑戦が生まれる
他人から「無理」だと言われると、逆に「絶対にできる」とメラメラ闘志が湧いてきます。61年前の最初の太平洋単独横断の時から、そうでした。 出発して90日目に両親から警察に捜索願が出たため、海上…
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過去にはメディアから意地悪な質問も…チャレンジを応援する世の中になって欲しい
61年前、単独無寄港太平洋横断を達成し、サンフランシスコに着いた際、日本からパスポートを持たずに出国していたため、「密航事件」とか「人命を軽視した暴挙」などとメディアから批判されました。 別…
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イチローさんや大谷翔平さんの活躍…ヨットやスポーツには国境を超える力がある
「太平洋ひとりぼっち」の翌年、1963年に「菊池寛賞」を受賞しました。 賞自体、ボクはよく知らなかったのですが、芥川賞や直木賞と違って、作品そのものではなく、「ヨットで世界最初に単独無寄港で太…
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日本人がヨットに乗れるようになったのはマッカーサーのおかげ?
1962年以来、60年ぶりの単独無寄港太平洋横断に挑戦するため、サンフランシスコを出航したのは、昨年3月27日のこと。風邪もひかず、コロナにもかからず、あっという間の1年でした。 アメリカに…
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普段も航海中もウイスキーの理由…誰にも邪魔されず自分のペースで
この年齢になってもなぜ航海を続けるかというと、子どもがオモチャを欲しがるようなものです。理性があったら、とっくにやめています。夢を夢で終わらせない。ロマンチストが夢を追いかけると、超リアリストになら…
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「人生は妥協の連続」ボクには風を利用するヨットが向いている
ヨットに出合った高校時代、猛練習に耐えた自分を誇りに思っています。達成感があるから、耐えられるんです。ヨットに乗れるようになりたいという最低限の目標がありました。何が何でもヨットマンになりたい。そう…
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40年以上、朝食をしっかり派 朝に一番重たいものを食べると調子がいい
自宅にいる時の朝食は、ほとんど和食です。味噌汁にご飯、サケ、サバといった焼き魚を食べることが多いですね。朝からお好み焼き、焼きそば、天ぷら、すき焼きを食べることもあります。 朝、しっかり食べ…
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航海の目的はあくまでも自分自身が楽しむこと
以前、これまでの人生で大きな挫折を経験したことはないと書きました。 けれども、厳密に言えば、世界初、単独での無寄港太平洋横断から10年後の1972年11月、単独無寄港世界一周に挑戦して8日間…
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人生も航海も大切なのは不安を育てないこと…必要以上の恐怖を抱かない
人生も航海も大事なのは「不安を育てないこと」だと思います。必要以上の恐怖がすべてを台無しにしてしまうからです。 物事はいいように考える場合と、悪く考える場合があります。ちょっと調子が良ければ…
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海の上でも活字がないとダメ! ノンフィクションは航海の参考書
昨年の太平洋単独横断には、ポルトガル人の航海者・マゼランの「最初の世界一周航海」を持っていきました。マゼランは南アメリカ大陸のマゼラン海峡を発見し、大西洋から太平洋に出てフィリピンまで太平洋を横断し…
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映画「太平洋ひとりぼっち」主演・石原裕次郎との出会い
昔は航海中、口笛を吹いていましたが、よく考えると、最近はしなくなりましたね。皆さんも日常生活で口笛を吹く機会が少なくなったのではないでしょうか。ボク自身、道を歩いていても自然と口笛を吹いていたのに、…
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太平洋の大海原で飲むビールは格別! 危険が伴う作業では自分にご褒美を与える
22歳で会社に入って43年間勤め、65歳で定年するとしたら、まだ100歳まで35年あるわけです。時間はあり余るほどあります。 ボクの周りにも、定年退職してからヨットでサンフランシスコに行った…
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航海に不可欠なのは「お湯」…お湯さえ沸かせれば食事は何とかなる
航海中の一番の楽しみといえば食事です。少々の嵐がやってこようと、ご飯だけは炊いたり、温めたりします。 昔は鯖やオイルサーディン、コンビーフなど缶詰ばかりでしたから、航海中、だんだんと缶切りの…
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デッキシューズは寝ている時も履きっ放し 高校のヨット部時代はいつも裸足だったけど
今はさすがにデッキシューズを履いていますが、60年前、23歳で太平洋を単独無寄港で横断した際は、デッキシューズの存在すら知りませんでした。日本からサンフランシスコまで、ずっとゴム草履を履いていました…
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時代の進化はすさまじい…テレビの登場はインターネットやスマホ以上に衝撃的だった
昨今の時代の進化はすさまじいと思います。インターネットもスマホもWi-Fiもそうですが、これまでに一番驚いたのは、やっぱりテレビです。 1950(昭和25)年、兵庫県西宮市の「阪急西宮スタジ…
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ヨットで世界一周 心の底からやりたいと思うことに理由はない
1945年8月15日のことは今でも鮮明に覚えています。 当時は夏の暑い時期だったのに、夏休みではありませんでした。空襲やら何やらで勉強をする時間が足りなかったのか、その日も学校に行っていまし…
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自分の人生に大きな影響を与えた「次郎物語」の「無計画の計画」
敗戦の年となる1945年、ボクは小学校1年生でした。 4~8月の1学期は、戦前の教育を受けています。それが敗戦によって、これまでとは正反対の「戦後の教育」になりました。 敗戦後の2、…