石田純一 70歳のダンディズム
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この歳になってあの不倫騒動を統括すると…
「スーパーJチャンネル」で自分の持ち味を出せたかどうかは分からない。それでも視聴率はだんだん上がっていった。最後はスタッフも降板を残念がってくれた。 当時は、いまと違ってテレビ局の報道現場はの…
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老けた役を演じる自分を想像できなかった
長谷川理恵さんとの不倫が「フォーカス」され、ニュースキャスターも1年で降板させられた僕は仕事が激減し、家賃も払えなくなるほど、お金に窮した。 ニュースキャスターの仕事を始めてから、「石田さん…
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写真週刊誌「フォーカス」の不倫スクープは、幻冬舎の見城徹さんがネタ元
長谷川理恵さんとの不倫騒動は写真誌「フォーカス」のスクープだ。情報提供者は幻冬舎の見城徹社長だと、この連載で書いた。なぜ、彼だとわかるのか。それはこんな事情だ。 その日、僕らはパークハイアッ…
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不倫報道で叩かれ仕事がなくなり、家賃も払えず、大家さんに直談判
テレ朝上層部は僕の不倫報道はやがて収まると踏んでいた。キャスターとして新番組を仕切るまでまだ半年もある。その間に他の芸能人のスキャンダルも出る。やがて忘れるだろう、とタカをくくっていたが、甘かった。…
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「不倫は文化」報道の顛末をすべて語ろう
2日後が平尾昌晃チャリティーゴルフの本番という日、僕は意を決して、平尾さんに電話をかけた。 毎年、呼んでもらってお世話になっている。このチャリティーは恩返しの意味も含めて、ぜひ、参加したい。…
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「フォーカス」されて一転、芸能マスコミから追われる身に
フォーカスされた不倫相手、長谷川理恵とは友人の紹介で出会った。結び付けてくれたのは東京、ニューヨークで飲食店を展開しているSさんだ。彼は芸能界、財界の人脈が豊富で、彼がオーナーだった有名店「タトゥー…
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息子の壱成に伝えた、役者としての「声の出し方」
俳優からなぜ、ニュースキャスターへの道が開けていったのか、を前回書いた。 もともと安倍晋三さんとは知り合いだったし、テレビ局の報道畑の人を紹介されたりして僕の別の一面を見てもらった。そんなと…
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安倍晋三さんとは若いころからの付き合いだった
超多忙を極めた日々はあっという間に過ぎていく。テレビドラマ、映画、舞台と駆け抜けるような1990年代前半が過ぎると96年のアトランタ五輪が間近に迫ってきた。この頃、僕には転機が訪れた。俳優一本ではな…
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ポスターが盗まれた時、父はしみじみ褒めてくれた
人気が出てきたものの、忙しくて遊ぶ暇もない。寝る時間もない。お金をつかう機会もない。 殺人的なスケジュールに追われていたことは前回までに書いた。 とはいえ、しみじみよかったなと思うこ…
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人気があってもモテなかったのには理由がある
人気が出てきて、どこか変わったことはありますか、と連載の担当者に聞かれた。 前にも書いたが、行くところ、行くところで、人だかりができてしまう。警察が出てくる騒ぎになったこともあり、家族が怯え…
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ある朝起きたら、世の中がガラリと変わっていた
1989年、フジテレビで「同・級・生」が始まった。柴門ふみ原作の人気漫画のドラマ版だ。主演は安田成美。緒形直人、山口智子らに交じって、僕も出た。 いろいろな意味で思い出深い仕事となった。最初…
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松原千明ちゃんとの結婚と死
松原千明ちゃんとは1988年に結婚した。ちょうど、「抱きしめたい!」のオンエアが終わるころだ。もう撮影は終わっていたので、一緒にフィレンツェに行き、式を挙げた。 派手な結婚式はしなかった。僕…
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今も現役バリバリで活躍するフジテレビの演出家・河毛俊作さんの魅力
「抱きしめたい!」の演出を担当したフジテレビの河毛俊作さんは今年の9月で72歳になる。僕より2つ上だが、バリバリの現役だ。フジテレビのドラマ制作センターのエグゼクティブディレクターで、つい最近も宮藤官…
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物議をかもしたフジテレビ「抱きしめたい!」での即興“”クーパーポーズ、でも…
フジテレビ系のドラマ「抱きしめたい!」の第1回、浅野温子さんが演じる池内麻子が気に入っている僕は食事に誘った帰り道、麻子をきざなクーパーポーズで見送った。人さし指と中指を揃えて、眉毛に触れて、敬礼の…
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浅野温子があまりに可愛くて…フジ「抱きしめたい!」では台本にない「クーパーポーズ」を
1988年、フジテレビ系のドラマ「抱きしめたい!」の撮影が始まった。キャストは浅野ゆう子、浅野温子のダブル浅野。岩城滉一、本木雅弘らスターがズラリ。演出は当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった山田良明、河毛…
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フジテレビのトレンディードラマ「抱きしめたい!」出演までの壮絶な裏話
1988年の春、一世を風靡した「君の瞳をタイホする!」。浅野ゆう子が人気を博したフジテレビ系のトレンディードラマだ。勢いにのるフジテレビは、同じく浅野ゆう子を起用したトレンディーものを夏に作ることに…
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事務所にはきっぱり「2時間ドラマではなく、フジのドラマを狙いたい」と明言した
所属事務所の本間社長に「あと1年頑張ってダメだったら、役者をやめる」と啖呵を切ったのが1987年の9月。しかし、仕事が来なければどうにもならない。ドラマの仕事はぽつぽつ来たが、2時間ドラマなので評判…
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窓辺に腰掛け、月を見ながら「俺は情けねえな」と呟いた
ぽつぽつと仕事は増えているのに、モヤモヤする。何か迷いがあって集中できない。1980年代の後半はそんな悩みを抱えていた。確か、87年だったと思うが、田原俊彦さんの「ドラマ特番」に呼ばれた。その時、ち…
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演出家の藤田道郎さんに「もう二度とNHKには顔を見せるな」と怒鳴られた
1980年4月から始まったNHKの朝ドラ「なっちゃんの写真館」は星野知子さんが主演。カメラマンの立木義浩さんのお母さんがモデルだ。時代は太平洋戦争のころ。舞台は徳島。当時としては珍しかった女性のプロ…
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木下恵介監督に起用され、長いセリフを一発OK
「演劇集団 円」が分裂し、「スカイコーポレーション」にお世話になることにした僕は来る日も来る日もオーディションを受け続けた。藤田敏八、根岸吉太郎ら大御所と顔見知りとなった。日本テレビのドラマ「俺たちは…