眞子さまで再び注目 皇族の自由恋愛が始まったのはいつ?
華族のための学校である学習院が創立されると、続いて華族女学校(のちの学習院女子部)が開校したが、この学校は皇太子の妃を選ぶ花嫁学校を兼ねていた。当然、学校側には生徒の家柄をはじめ、学力、性格、健康状態といったあらゆる個人情報が集まるはずで、そこから最も優れた女子を妃に選ぼうとしたのだろう。なぜなら一世代でも相手を間違ったら、その影響は末代まで及ぶからだ。
たとえば、昭和天皇の妃に内定していた良子女王の家系に色覚異常の人物がいるとして、元老の山県有朋らが婚約に大反対した。「宮中某重大事件」として騒がれたが、婚約内定に変更がないことが発表されると、山県らは失脚している。
皇族の結婚は、時には政治問題になりかねず、それゆえに十分な身辺調査をしたうえで選ばれた。というよりも、戦前の結婚は、個人より家と家が結ばれることだから、そこに恋愛が入る余地はなかったのである。当時の上流階級にとって、恋愛結婚は犬畜生のすることらしいから当然だろう。
皇族の結婚が「恋愛」と結びつけて語られるようになったのは戦後のことだ。