末成映薫さんは100歳まで現役のために改名したザ・大阪のおばちゃん
末成映薫(由美)の巻
「ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃー」のギャグなどで関西では知らない人はいないだろうと思われるぐらい親しまれている末成さん。
2020年1月1日から芸名を「末成由美」から「末成映薫」に変えられました。その理由が素晴らしい!
「由美の文字を『映薫』にすることでもっともっと運勢がよくなると聞き、それならば……! と改名してみることにしました。まだまだ売れて、大河ドラマに出る夢もかなえ、100歳まで現役で新喜劇の舞台に立てるように精進致します」というのです。吉本新喜劇、48年目の大ベテラン、長いキャリアを積み上げてこられてなおこの向上心。本当に頭が下がります。
初めて新喜劇の台本を書かせていただいたのが1990年の2月「吉本新喜劇やめよッカナ? キャンペーン」の一環で、これまで新喜劇を書いたことのない作家にも書かせようということで漫才作家の私に新喜劇を書く機会を与えていただきました。末成さんとはその時以降のお付き合い。新喜劇だけではなく、バラエティーやトーク番組でも何度となくお世話になっています。
大先輩ですが偉ぶるところなどみじんもなく、壁をつくられないのでこちらもついつい甘えて「末成さんならやってくださるだろう」と、生放送のテレビのコントで早着替えで何役もやっていただいたことがありましたが、リハーサルで「むちゃなお願いをしてすいません」と頭を下げると「大丈夫、大丈夫なんでもやるよ!」と胸をたたいた後で、「これはギャラ割り増しやな?」とニヤリとしながらささやかれたり、おちゃめな“大阪のおばちゃん感”満載の末成さん。
私の未熟な新喜劇の台本にも「本多君、ここはこうした方がええんちゃうかな?」「これはおもしろいわ! やるやんかいさ!」と稽古の時から何度も“直球”のアドバイスをいただきました。
衣装より派手な私服
料理もお上手で、30年近く前ですが、長時間に及ぶテレビの年始特番の収録で、22時すぎ(?)ぐらいにスタジオに来られた末成さんが大きなカバンから保存容器をいくつも出されて「よかったらみんなで食べてちょうだい!」とお手製の差し入れをしてくださいました。何を作ってくださったのか記憶はありませんが「おいしかった!」ことだけは今でも覚えています。今も若手の座員を自宅に招きごちそうされているそう。おそらくその場ではいろんな相談にものっておられるんでしょう。
インスタも頻繁に更新され、バーベルを担いでスクワットしている写真を投稿。とにかくお元気! 肌もスベスベでとても実年齢とは思えません。私服が舞台衣装より派手で、楽屋から帰って行かれる時に思わず「衣装のままですよ!」とほんとに声をかけそうになったことが何度もありました。
仕事終わりで地下鉄に乗り合わせた際に、乗客から「新喜劇の方ですよね?」と声をかけられても「ありがとうございます」と気さくに話をされるし、大阪の街に溶け込んでらっしゃいます。
座員からもスタッフからも「ゆみ姉さん」と慕われている末成さん。ホントに100歳まで現役で舞台に立ち続けてください!