明和電機に訊く(前編)発明に必要な性格はなんですか?
青い作業服を着用した中小企業のスタイルでさまざまなナンセンスマシンを開発する「明和電機」。土佐信道さん(56)プロデュースの芸術ユニットで、海外でも活躍。来年の2024年で活動30周年を迎える明和電機に発明のヒントを訊く!
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原田曜平(以下=原田) 明和電機さんといえばユニークな発明とパフォーマンスでお馴染みです。
明和電機(以下=明和) 僕はソニーミュージック主催のアートのコンペでグランプリを取り、1994年にソニーミュージックのアーティストとしてデビューしました。ソニーさんがミュージシャンではなく、物を創り出すアーティストを売り出す実験的なプロジェクトだったのですが、その部署がなくなってしまったときに、ソニーさんが「明和電機をなくすには惜しい」と言ってくれまして。で、いろいろ探してくれた中に吉本興業があり98年に移籍。2016年までいました。
原田 もともとアーティスト志望ですか?
明和 最初は絵描き志望でした。芸術の道に進もうと思っていて、入学した筑波大学では今で言うメディアアート、当時はハイテクノロジーアートという「総合造形」という学科に進学しました。アートとエンターテインメントを融合したような学科で、卒業生にはゲームクリエーターで㈱ポケモン代表取締役社長の石原恒和さんや、絵本作家として活躍しているヨシタケシンスケさんがいます。
原田 大学時代にアートを作り始めたんですね。
明和 そうです。ただ、自分が作品を作って、それを世の中に出すときに、はたと困ったんです。普通のアートとは違うので、見せ方をどうしようか考えたときに、電機屋に扮したスタイルで変な機械を見せる“明和電機”を思いついたんです。
原田 なるほど。でもアーティストとしても一風変わっていますよね。
明和 普通アートというのは1つの作品しか作りませんよね。その唯一の作品を売るから値段が高くなり、ニッチなアートマーケットで出世していく。これがどうも僕の肌に合わなかった。僕は高校時代にバンドをやっていて、ミュージシャンはのっけから「100万枚売るぞ!」「武道館行くぞ!」などマスに対してアプローチしていきます。そこが根本にあったので、自分で作ったアートを1つだけ売ること自体まずピンときませんでした。
原田 普通はギャラリーに置いて、買ってもらってという流れですからね。
■「アートをマスプロに」
明和 アートの王道に逆らって、アートのマスプロ化を明和電機でやろうと思いついたときに、プレゼンでグランプリを取ってソニーミュージックに所属させてもらえたんです。ソニーミュージックといえば音楽業界でのマスプロのプロフェッショナルですから。そこで最初に作ったのが、魚の骨の形をした電源用延長コードの「魚コード」です。
原田 吉本さんはどういう評価でしたか。
明和 移籍する前から「ナンセンス★マシーン」というクスッと笑える動作をするかわいい見た目の機械を作っていたのですが、それを見た大崎(洋・前会長)さんが「お笑いは消えてしまう。ギャグにもネタにも著作権はない。でも、明和はお笑いが形になっていて日本だけじゃなく世界にも売れる」と言ってくださり、所属できました。当時はテイ・トウワさんがいたり、ダウンタウンさんがCDを出したり、今田耕司さんがKOJI1200としてデビューしたりなど、いろいろ新しい試みをやっていたので、タイミングもよかったんだと思います。
原田 いきなりテレビで明和電機さんを見た人からすると、吉本所属だし、最初から物を使ったお笑い芸人さんなのかなと勘違いした人もいるでしょうね。
明和 いまだにそう思っている人もいると思います(笑)。特に「タモリの音楽は世界だ」という番組で、「世界手作り楽器協会」というコーナーに出演させていただき、日本中の変な楽器を作っている人を紹介していたのでアートとエンターテインメントの変な人という印象は最初からあったと思います。
原田 ヒット作の「オタマトーン」は東急ハンズなどいろいろなところで見ますよね。トータルで200万個以上売れたそうですが、どんな経緯で開発を?
明和 楽器をアートとしていろいろなパターンの物を作っていたのですが、最終的に「声」が面白いなと。まず、声帯は筋肉でできているし不安定。脳で一生懸命、情報整理をして、筋肉と歯と口で音を出すなんてすごいですよね。「声」で楽器を作りたいと思ったときに、仕組みをいろいろ研究して、最終的に喉をゴムで作って、空気を送って人工声帯で音を出すロボットを作りました。口を開けたり閉めたりする動作で音を変えるのはビジュアル的にも面白いと思ったのが「オタマトーン」のきっかけですね。