勝新太郎
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勝新太郎(13)活動の場は舞台に「出演料は現金でしたが。借金取りは一度も訪ねてこなかった」
大麻とコカイン不法所持、仮釈放中はハワイに身を隠していた勝新太郎さんは1991年に帰国。日本では麻薬及び向精神薬取締法違反で懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。裁判では「傍聴者」を「観客」と呼び、客を楽しませる台本まで考え...
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勝新太郎(12)逃亡中の相手を電話で捕まえるとき、こちらから「もしもし」は絶対に禁物で…
勝新太郎さんは1990年1月16日、ホノルル国際空港で大麻とコカインの不法所持の現行犯で逮捕。現地での記者会見では「気が付いたらパンツに。もうパンツをはかない」と笑わせたが、摘発物の出どころは沈黙を通した。 その後、勝さんは...
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勝新太郎(11)「奥村家」は依存症ファミリーの様相を呈していた
勝新太郎さんの「座頭市」は1974年からテレビ化され、取材する機会が多くなった。勝プロは港区六本木、麻布警察署の真裏にあるビルの3階にあった。インタビューに行くと、マネジャーは「今、静かに妄想中なので、しばらくお待ちください」と言い...
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勝新太郎(10)「オレのドラマを観るんならテレビの近くに集まってくれ」
勝新太郎さんが主演、そして脚本と演出にも取り組んだ日本テレビ「警視-K」(1980年10月開始)の湘南ロケがあり、現地に駆け付けた。インタビューは勝さんの専用車(ステーションワゴン)内。当時、勝社長のアヘン不法所持事件や奇行で仕事が...
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勝新太郎(9)16年ぶりに「座頭市」が復活するというニュースをつかんだが…
1988年の夏、映画「座頭市」が16年ぶりに復活するというニュースをつかんだ。低迷する勝プロは映画界では不人気だったが、バブル時代にダンスバーの経営で成功した「三倶」が製作費を出し、26本目の大作「座頭市」を作るというのだ。 ...
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勝新太郎(8)「オーナー、会社は大変なんだろ。もう、無理すんのはやめましょ」
黒沢明監督と衝突して「影武者」主役降板、制作も請け負った日本テレビ「警視-K」の早期打ち切り。その時点で勝新太郎さんの勝プロダクションは12億円以上の借財を抱え、倒産状態であった。それでも勝さんは親しい記者を集めては「さあ、飲みに行...
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勝新太郎(5)4本のブランデーを飲み切ったところで「さあ、何でも質問しろよ」と…
勝新太郎さんの取材はいつも刺激的でユーモアに富んでいる。勝さんの番記者だった先輩は「とことん付き合わないと、勝新太郎に好いてもらえない」と映画全盛時代の勝さんを回顧。京都太秦での撮影が終わるや、勝さんは「さあ、芸子を呼んで飲みまくる...
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勝新太郎(3)「玉緒との離婚を発表するからすぐ家に来てくれ」
勝新太郎さんは最盛期に入っていた。「座頭市」「兵隊やくざ」「悪名」と人気シリーズを確保。1967年には勝プロダクションを設立、勝さんの高額ギャラに加えて製作費も入ってきた。ところが中村玉緒と結婚して10年目の71年の冬、突然、本人か...
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勝新太郎(2)「おい、脇ちゃん、寒くてかなわねぇ、俺と相撲をとろう」
やんちゃ坊主、破天荒、豪放磊落……。名優だった勝新太郎さんの代表作「座頭市」(1974年)がテレビに登場して半世紀がたった。ロケ現場で記者と相撲をとる勝さん、ふんどし一枚で離婚会見する勝さん、アヘン所持でハワイに隠れる勝さん……。私...
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俳優・木村拓哉に必要なのは「人気シリーズ作品」 かつて主役を務めてきた名優たちの共通点なのだ
4月期ドラマで注目されていた長谷川博己の「アンチヒーロー」と、木村拓哉の「Believe」。決着が見えてきた。長谷川は2桁を維持しているが、木村は2桁を割り9%台。今どきのドラマの数字としては合格点だが、テレ朝期待の大型ドラマである...
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中村玉緒は「パチンコと勝新太郎はやめられません」と豪快に宣言した
中村玉緒さんと初めてお会い、いえ“遭遇”したのは、40年近く前のこと。私がまだ駆け出しの頃、毎日放送のトイレの前で出会った看護師(当時は看護婦)さんが笑顔で頭を下げ、挨拶されました。反射的に「おはようございます」と答えて顔を見返すと...
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香川照之に続きENEOS会長までクラブでご乱行…彼らの失敗の本質はどこにあるのか
ノンフィクション作家の佐野眞一が亡くなった。享年75。佐野が週刊朝日で橋下徹大阪市長(当時)のルーツに触れ、批判を浴び、作家生命を絶たれようとしていた。そんな時、彼に、「今こそノンフィクションとは何かを問え」と言って、「ノンフィクシ...
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元芸能リポーター井上公造氏が念願の「徹子の部屋」出演! ガチガチ大緊張で取材逸話語る
今年3月いっぱいで、36年の芸能リポーター生活にピリオドを打った井上公造氏(65)が、5月26日放送の「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演した。 さまざまな番組に出演してきた井上氏にとって一つだけ心残りだったのが、「徹子の部...
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<75>立ち消えになった勝新太郎と宮沢りえの共演映画企画
ふんどしカレンダーにヘアヌード写真集――10代の頃の宮沢りえは、清純派アイドルの枠にはまらない型破りな作品を世に送り出し、注目されてきた。勝新太郎も、そんな彼女の魅力にとりつかれ、熱い視線を送った一人だ。 「わがパンツの中の真...
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<74>FOUCSのネタ元は梨本勝か…勝さんを機内でビデオ撮影
1991(平成3)年5月に帰国して逮捕、起訴された勝新太郎は、保釈後の一時期、牛次郎の願行寺に身を寄せていた。日がな一日、レンタルビデオ屋で借りてきた映画を見て過ごし、“隠れ家”での暮らしを満喫していた。 ■油断できない ...
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<70>勝新太郎は帰国が決まるとなぜか「白いハット」を購入
1991(平成3)年5月11日の午前、勝新太郎はホノルル発羽田行きの中華航空機に搭乗した。そのそばには、若山富三郎に頼まれてハワイまで勝を迎えに来た牛次郎の姿もあった。 「富さんの具合も悪くなっていたし、ケジメも必要だ。人生に...
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<67>ノーギャラで出演する「勝ファミリー」の役者たち
勝新太郎は1967(昭和42)年に勝プロダクションを設立し、「座頭市」や「悪名」のテレビドラマや映画の製作を手がけるようになった。 もっとも勝本人は経営者向きの性格ではない。金に無頓着で、その場の雰囲気でパッパッと使ってしま...
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<66>勝新太郎は監督の領域に踏み込もうとして降ろされた
黒澤明監督の映画「影武者」で、勝新太郎は主役の座を降ろされた。その原因は、勝が監督の領域にまで踏み込むような振る舞いをしたことにあったという。 黒澤の助手を長年務めた野上照代は週刊新潮(2016年3月3日号)で、当時の経緯を...
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<65>黒澤明と決裂 着替えた途端に信玄なりきった勝新太郎
1980(昭和55)年に公開された黒澤明監督の映画「影武者」は、志半ばで倒れた武田信玄の死を隠すために影武者となった盗人と家臣団の葛藤を中心に、武田家の滅亡までを描いたスペクタクル時代劇だ。公開当時は、日本映画の興行収入で歴代1位を...
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<63>勝新太郎と食べた将校クラブのアイスクリームは生涯一
米軍専用コースでのラウンド後は、将校クラブで食事もした。 「勝さんは『ここはメシもうまいだろ?』って言ってたけど、確かにそうで、特にアイスクリームがメチャクチャうまかった。マカダミアナッツを混ぜてるとかなんとか言ってたけど、ベ...
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中居の爆笑会見は勝新以来 目指すはタモリか所ジョージか
2月21日に行われた中居正広のジャニーズ退所会見は昨今のテレビの中ではダントツに面白かった。中居自ら記者やカメラマンをお出迎え、会見中も笑いが絶えず。普段なら意地の悪い質問をする記者もすっかり中居のペースに巻き込まれ、ファンミーティ...
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鴈さん孤独死…中村玉緒との親子関係から見る「8050問題」
まさに「8050問題」じゃないか。 故・勝新太郎さんと中村玉緒(80)夫妻の長男で、俳優の鴈龍太郎さん(55=本名・奥村雄大)が11月1日、急性心不全のため、名古屋市内で死去していた――12月3日にそう報じられ、騒然となって...
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横山やすしは愛人36人 平成スキャンダル王の破天荒ぶり
12月に入り、平成を総括する番組や企画が増えてきた。6日放送のTBS系の朝の情報番組「ビビット」でも「ワイドショーを彩った言葉 平成30年史」として、平成のお騒がせ芸能人を一気に見せた。 中でも隠し子騒動の丹波哲郎や大麻・コ...