秘話 大谷翔平「二刀流の血脈」
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<最終回>自分たちの暮らしは自分たちで
「母さん、いつまで働くの?」 大谷があるとき、母親の加代子(51)にこう言った。 加代子は大谷が小学校に入ると同時に、水沢市内の飲食店でパートを始めた。週に4~6日、午前中に入って4時…
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<第40回>「華やかできらびやかな世界に染まらないで欲しい」
プロ野球選手といえば、かつては宵越しのカネは持たない江戸っ子のようなところがあった。 活躍して給料が上がれば、パーッと使う。高価な車に乗り、うまい物をたらふく食べ、一流の場所で酒を飲むのが一種の…
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<第39回>修学旅行の小遣いも残ったら「お釣りね」と返した
水沢南中学3年の修学旅行のときのことだ。行く先は東京の浅草や浦安のディズニーランド。持っていく小遣いは1万2000~1万3000円と決まっていた。 大谷はその金額を持って行ったものの、全部は…
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<第38回>日本ハム入団の真相
野手としては1年目から使える。投手としても、いまの実力をさらにアップさせるだけの性格面のプラスアルファがある――。 日本ハムGM(現スカウト顧問)の山田正雄は、韓国のU18世界選手権で他の選…
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<第37回>いつの間にか大阪弁の輪の中心にいた
夏の甲子園後に行われるU18世界選手権。甲子園で活躍した選手を中心に全国から代表が選ばれるものの、大半を関西出身者が占める。 藤浪、北條(ともに現阪神)、田村(現ロッテ)らを中心に構成された…
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<第36回>2日間で9回 大きな制球ミスはほとんどなかった
12年初夏のこと。日本ハムGM(現スカウト顧問)の山田正雄は、関東のある学校のグラウンドにいた。 花巻東を含めた3校が、2日間にわたって練習試合をする。そこで大谷が2日で9イニングを投げると…
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<第35回>日本ハムGMが仰天したのは本塁打より三直だった
高3春のセンバツ、1回戦の大阪桐蔭戦は、プロ側にとっても重要な判断材料になった。 前年の夏の甲子園で151キロをマークした大谷が秋に故障、ひと冬越して、どんな投球を見せるか。非凡だった打者と…
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<第34回>160キロのエネルギー
高校時代の最大の転機は3年春のセンバツだった。 2年夏に骨端線損傷を患い、秋の大会は投球禁止。翌年のセンバツ出場のかかった県大会と東北大会はまったく投げられなかった。ここぞという試合に野手、…
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<第33回>点呼があってもアラームはセットしない
「打たれてマウンドを蹴飛ばすこともない。ポーカーフェースというか投げているときも表情にあまり出さない。自分の中では何か思っているのかもしれませんけど、それを表に出さないのです」 花巻東時代の大…
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<第32回>試合に負けても本のしわに気づいても「涙の原点」
教室の中ではカッとなったり、大声を上げたりしたことはほとんどない。 大谷の水沢南中学時代の同級生・渡邊洸大は「いつも穏やかでした。ふざけて怒られても、引きずったりしない。応援リーダーや音楽の…
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<第31回>寮の机の引き出しから出てきたのは…
大谷が花巻東の1年生だった当時、寮には野球部員の親御さんたちも出入りすることができた。 週末になると車で片道1時間ほどかけて練習試合を見に行っていた母親の加代子(51)は、そのたびに大谷の好…
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<第30回>「オレ、まだ伸びてるわ」
大谷のお尻と太ももの付け根の痛みはすぐには引かなかった。 自覚症状が出たのは高校2年の夏の県大会が始まる前。「左太ももの肉離れ」と診断され、岩手県予選は4回戦で1回3分の1を投げただけで他の…
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<第29回>足がひんぱんにつる謎解き
プロ3年目の大谷は投げている最中、足がつった経験が公になっているだけで5回ある。 「高校(花巻東)の試合中、あっ、やったかなというのはありました。去年も春先にあって夏以降は大丈夫だったので、続…
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<第28回>菊池雄星を超えるために花巻東を選んだ
大谷の父・徹(52)はこれまで、3人の子供たちの進路に関して、口を挟んだことがないという。 「僕はこっちに行けとか、そういうことを言ったことがない。本人たちに任せています。最初の高校進学もそう…
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<第27回>父親が「野球より人間教育」と考えた理由
高校からドラフト1位でプロ入りするような選手はたいてい、中学時代に脚光を浴びる。大谷同様、日本ハムに1位指名されたダルビッシュ(現レンジャーズ)は中学時代、40校近くの高校から誘われたという。大谷は…
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<第26回>ふざけるのも、人を笑わせるのも大好きだった
水沢南中学3年のときのことだ。 大谷は放課後、同じクラスの渡邊洸大と2人で教室に残って、模造紙に修学旅行の様子をまとめていた。 が、そのうち飽きてくる。どちらからともなく模造紙を丸め…
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<第25回>「有名人になる」と思われていた
水色の表紙の卒業文集。大谷がいた水沢南中学校3年7組の扉には、3つのアンケート結果が掲載されている。その中のひとつ「将来有名人になりそうな人」で、大谷は1位に選ばれた。 中学時代の大谷は知る…
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<第24回>「プロでやっていくには優し過ぎる気がした」
「翔平、すっかり有名になっちゃったな」 「テレビのニュースとかにも、いっぱい映ってるし」 「あんなふうになってホント、すげーよな」 「スゴいよ。確かにスゴいんだけど、なんか不思議な感…
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<第23回>「大人びた性格」を育んだ末っ子気質と運動能力
岩手・水沢南中時代の大谷はグラウンドや校庭で人目を引くことはあっても、教室の中や課外活動で目立つことはほとんどなかった。 中3時の担任・太田和成(38)には、運動会の応援リーダーをやったこと…
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<第22回>「野球部の試合には出ない方がいいです」
大谷は一関シニアで名の売れた選手だった。 通った水沢南中学校でも野球部に所属。腕に覚えのある中学生なら、学校でも少しくらいはいいところを見せたいと思うのが自然だ。親御さんも最近は、子供以上に…