秘話 大谷翔平「二刀流の血脈」
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<第21回>「流しているようで速い。あんな走り見たことない」
その瞬間、大谷の水沢南中3年時の担任だった太田和成(38)は仰天した。 運動会のクラス対抗選抜リレー。1~3年生の、足の速い生徒を集めてクラス単位の順位を争う。3年7組の大谷は1年7組、2年…
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<第20回>地元の進学校に普通に行ける成績だった
自分のチームはもちろん、相手チームの選手の特徴や結果を正確に記憶。それを基に自分なりの傾向や対策を頭の中で組み立てる。それが初めて見た試合だろうと、打球の行方や、次の展開をことごとく言い当ててしまう…
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<第19回>監督の後ろでボソボソとつぶやいた相手選手の特徴
大谷の通った岩手の水沢南中学校野球部が、あるとき練習試合に出掛けた。 大谷は野球部に所属していたものの、一関シニアに通っていたため土日の練習は免除。その日はたまたまシニアの練習がなかったのか…
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<第18回>勉強会は早朝のグラウンド⇒帰りの車中⇒風呂場
大谷には社会人野球までプロを志した父・徹(52)と、バドミントンの選手として全国大会で活躍した母・加代子(51)から受け継いだ遺伝子がある。 しかし、いくら優れたDNAの持ち主でも、小学生の…
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<第17回>「大谷伝説」の真贋
水沢リトルには、いまも語り継がれる「大谷伝説」がある。 胆沢川の河川敷の長方形の敷地にグラウンドが2面。国道4号から見て奥を小学校低学年のバンディッツ(山賊)、手前を高学年のパイレーツ(海賊…
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<第16回>あえて「左打ち」に変えた父の親心
右利きの大谷は水沢リトルで硬式野球を始めた当初、右打ちだった。水沢リトルでコーチをしていた父・徹(52)はしかし、すぐ、左打ちに変えた。それは徹なりの親心だった。 「まさか、ずっとピッチャーを…
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<第15回>残業明けは一睡もせず翔平を連れてグラウンドへ
大谷の父・徹(52)はかつて、プロ野球選手になることを夢見て社会人まで白球を追った。しかし、だからといって、幼い大谷に強引に野球を押し付けたわけではない。大谷がリトルで野球を始める前までは、自宅でも…
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<第14回>兄の背中を追うように野球を始めた
大谷の実家のある水沢から盛岡方面へ、国道4号を車で15分ほど北上すると、東西に胆沢川が流れている。 大谷が父・徹(52)に手を引かれるようにして、その河川敷のグラウンドに足を運んだのは小学2…
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<第13回>寝る子は育つ。中学3年間で20センチ伸びた
それは暑い夏だった。1994年、岩手の盛岡は真夏日が48日間もあった。48日間は今も記録として残っている。 その盛岡から50キロほど南に下った奥州市水沢区の平間産婦人科で大谷が産声を上げたの…
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<第12回>「龍太に何もしてやれなかった分、翔平にはしてやろうと」
岩手県の水沢や近隣の金ケ崎には、ひなびた温泉場が点在する。 大谷の父・徹(52)は温泉につかるのが好きだった。束の間の休日の日帰り入浴。昼夜2交代制で疲れた体をいたわるのは何よりの癒やしにな…
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<第11回>手弁当で夏はピクニック、冬はそり遊び
家族4人で岩手に越してきた93年7月、大谷の兄・龍太(27)は5歳、姉・結香(22)は1歳になる前。大谷が生まれるのは1年後になる。 龍太は半年だけ幼稚園の年長組に通った後、小学校へ。遊びた…
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<第10回>父・徹氏は往復3時間かけて昼夜2交代勤務に残業までやった
大谷の父・徹(52)の新たな職場は自動車のボディーメーカー。車体を造る過程のラインに携わる仕事だ。徹がいまも勤務する会社の工場が横須賀にあった。ただでさえ不慣れな仕事のうえ、勤務は完全な昼夜2交代制…
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<第9回>父・徹氏は「岩手に住もう」と横浜育ちの母・加代子さんを説得した
大谷の父・徹(52)は24歳の夏、三菱重工横浜の野球部を引退、その年の12月に加代子(51)と結婚式を挙げた。独身寮を出て、横浜市西区の社宅へ。鉄筋コンクリートの5階建て。住まいは2DKだった。 …
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<第8回>母・加代子さんがが明かす父・徹氏の素顔
そのときは売り言葉に買い言葉のような感じだったのかもしれない。 社会人6年目の都市対抗の予選で敗れ、来季は自分がキャプテンをやって若手を引っ張ろう。大谷の父・徹(52)がそう考えていた矢先に…
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<第7回>意気込んでいた矢先の戦力外通告に父は…
二刀流の血脈 大谷の父・徹(52)が在籍していたころの三菱重工横浜野球部は、都市対抗野球の神奈川代表のイスを争っていた。 神奈川から3チームが代表になり、その3番目の枠をかけて戦うというレベル…
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<第6回>ある日突然同期に足で負けた父・徹氏は愕然とした
三菱重工横浜の野球部には、大谷の父・徹(52)も含めて高校出の同期が4人いた。 そのうちのひとり栃木工業高から来た外野手の飯塚富司は「ゆくゆくはプロに行く」と、部員のだれもがその実力を認めて…
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<第5回>社会人の野球部壮行会で父と母は知り合った
大谷の父・徹(52)が岩手県立黒沢尻工業高校で甲子園を目指しているころ、学年で1つ下の母・加代子(51)はインターハイの常連・神奈川県立横浜立野高校でバドミントンに打ち込んでいた。 立野高校…
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<第4回>母はバドミントンの全国大会で陣内貴美子と対戦
昨年の正月、大谷がプロ1年目を終えたシーズンオフのことだ。 大谷は姉の結香(22)と、母・加代子(51)の姉の子供たち、いとこの男女2人と、計4人で横浜の街中を歩いていた。すると、通りすがり…
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<第3回>父親を襲った“燃え尽き症候群”の顛末
野球が強かった黒沢尻工は当時、OBが全国の社会人チームで活躍していた。彼らは大会が近くなると黒沢尻工に足を運び、後輩たちの面倒を見てくれていた。 大谷の父・徹(52)はその中のひとり、千葉の…
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<第2回>県大会入賞の陸上より野球を選んだ父・徹氏の矜持
大谷の父・徹(52)が育った岩手県北上市和賀町には、大手重化学工業の関連会社がある。「当時は人もたくさんいて、町全体が活気にあふれていた。まさに工場の町といった感じでした」と徹は振り返る。 …