五木寛之 流されゆく日々
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連載11334回 内憂外患の3月に <3>
(昨日のつづき) 内外の情勢も緊張しているが、個人的な体調も危機線上にあって、まさに内憂外患。 数年前から脚部の不調が続いている。いまでは杖を使わなければ通常の歩行も困難になってきた。ことに左…
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連載11333回 内憂外患の3月に <2>
(昨日のつづき) 自分の本の話で恐縮だが、以前、『マサカの時代』(新潮新書)というのを出したことがあった。 そんなに売れなかったし、あまり話題にもならなかった。だが、今でもときどき新書の棚で見…
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連載11332回 内憂外患の3月に <1>
数日前から、やたらとクシャミを連発し、なんとなく体もだるい。 さてはオミクロン株にやられたかと心配したが、昨日あたりから復調した。熱も6度3分と、やや低目。来週に3度目のワクチン接種をする予定。…
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連載11331回 古い「改造」誌の記憶 <5>
(昨日のつづき) もう何十年も昔のことになるが、百科辞典の編集をしていた故・高畠通敏さんから手紙がきて、スペイン戦争についての項の執筆依頼を受けたことがあった。 もちろん、私などその任に非ずと…
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連載11330回 古い「改造」誌の記憶 <4>
(昨日のつづき) 谷耕平先生は、ときどきロシアの詩をロシア語で朗読してきかせてくれた。 芝居がかった、というと失礼だが、髪を指でかきあげながら、虚空をにらんでふりしぼるような声でロシア詩を吟ず…
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連載11329回 古い「改造」誌の記憶 <3>
(昨日のつづき) 私がロシア文学科の学生だった頃、大学で露文科を代表する先生がたといえば、黒田辰男、岡沢秀虎のお二人だった。 岡沢先生の『ロシヤ語四週間』などという本を開いてみたことのない学生…
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連載11328回 古い「改造」誌の記憶 <2>
(昨日のつづき) 完全軍装のフランコ反乱軍に対して、市民労働者側に参加したボランティア兵士は、スーツ姿あり、セーター姿あり、労働着ありといった雑多な集団だった。ソフト帽をかぶって小銃をかついだ姿も…
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連載11327回 古い「改造」誌の記憶 <1>
私が『わが心のスペイン』という本を出したのは、1972年のことだった。 出版社は晶文社である。『話の特集』に連載した文章を一冊にまとめたものだった。 1960年代の半ばに、私は金沢に移住した…
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連載11326回 生命の格差について <4>
(昨日のつづき) コロナ患者の重症化とともに、問題になったのがトリアージに関する判断である。 <トリアージ/triage>、原語はフランス語らしく、<トリアージュ>と呼ぶところもある。 <現代…
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連載11325回 生命の格差について <3>
(昨日のつづき) <文化というのは、じつに罪ぶかいもんだなあ> と、しばしば思うことがある。 私たちの国には、誇るべき文化遺産というものが数多くある。たとえば奈良の寺院建築だけを見ても、法隆…
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連載11324回 生命の格差について <2>
(昨日のつづき) 経済的な格差について論じられるのは、古く万葉の時代からである。生命の格差に関してもそうだ。 わが国には奴隷はいなかったと言われているが、言葉の違いだけで、奴隷以下の存在は少く…
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連載11323回 生命の格差について <1>
先月から今月にかけて新刊を3冊出した。そのため、取材やらパブリシティーで連日スケジュールがつまって大変である。 コロナ渋滞の折から、あまり人前に出たくないのだが、仕事だから仕方がない。出版は時代…
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連載11322回 現代の「悪」とは何か <4>
(昨日のつづき) 法然、親鸞が山を降りて市井に身をおいた時代、世の中は少数の「善人」と大多数の「悪人」に分かれていた。そのほかに「非人」と呼ばれる人々もいた。「非人」は人外の者であるから「悪人」の…
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連載11321回 現代の「悪」とは何か <3>
(昨日のつづき) 悪、という文字には、どこかにどす黒い陰鬱な感じがする。悪人、という言葉にしてもそうだ。 しかし、現代社会のシステムがはらむ悪のイメージは、プラスチックのように透明で軽い。そこ…
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連載11320回 現代の「悪」とは何か <2>
(昨日のつづき) 先ごろ新聞を読んでいて、すこぶるショッキングな記事に出会った。(2―13/朝日) そもそも私は新聞の大きな記事は読まない。紙面の片隅に小さく扱かわれているような記事を拾い読み…
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連載11319回 現代の「悪」とは何か <1>
「悪人正機」 という有名な言葉がある。12世紀~13世紀の仏教者、親鸞の説である。 それまでの仏教は個人の問題よりも、国家と朝廷の安穏を願うものだった。いわゆる「国家鎮護」の宗教だ。 それ…
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連載11318回 「大新聞」と「小新聞」の時代
先週、このコラムで漱石の漢詩について書いたら、 「日刊ゲンダイなんかで夏目漱石のことを論じるのは、お門違いだろう」 と、ある人に言われた。 「どうして? 漱石に失礼だってことかい」 「いや…
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連載11317回 先週読んだ本の中から <4>
(昨日のつづき) 漱石と子規との交遊は、明治22年頃にはじまったらしい。漱石、夏目金之助は第一高等中学校で英文学を専攻する学生だった。 英文学を専攻しながらも、彼は「余は少時好んで漢籍を学びた…
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連載11316回 先週読んだ本の中から <3>
(昨日のつづき) 詩といえば読むもの、というのが最近の常識だが、もともと詩は吟ずるもの、歌うものである。声に出して、メロディーをつけてうたうのだ。 仏教のほうでは、ブッダの言葉にリズムをつけて…
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連載11315回 先週読んだ本の中から <2>
(昨日のつづき) さて、『夏目漱石漢詩考』という本のことだが、どうも取っつきにくい本相をしていて、長いあいだ部屋の片隅に転がっていた一冊だ。本相というのは、人相に対する本の外見である。 そもそ…