喜怒哀楽のサラリーマン時代
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横田砂選さん<4>スニーカー3足を持ち米同時多発テロ現場へ
18年の歳月が流れている。2001年の9月12日、横田さんは成田空港の深夜のロビーでまんじりともせずにいた。 「日本時間11日の夜、アメリカ同時多発テロの国際映像を見て、すぐに番組ディレクター…
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横田砂選<3>現場の雰囲気で“酒鬼薔薇聖斗”は中学生ではと
平成に元号が変わった1989年、横田さんは「ルックルックこんにちは」(日本テレビ系)でリポーターとしてのキャリアをスタートさせる。 「実は、ルックの前にほんの数カ月間だけですが、『おはよう!ナ…
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横田砂選さん<2>芳村真理さんに会い松下電工を辞める決意
松下電工の東京ショウルームで働いていた横田さんは、ある女性との出会いがきっかけで会社を辞める決意をする。 「松下電工が定期的に発行する社内報があります。社内報とはいえ、5万人の社員が読みますか…
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横田砂選さん<1>松下電工の退職届には「相手の姓名」の欄
日本テレビ系「ルックルックこんにちは」で芸能・事件リポーターとして活躍した横田砂選さん。現在は声優としても活動しており、11月10日からNHK―BSプレミアムで始まる韓流ドラマ「ヘチ 王座への道」で…
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亀井京子さん<5>ウオッカが制したダービーが自分の転機に
週刊誌にデートを報じられたことにより、担当が野球から競馬に変わった。入社3年目のことだった。 「賭け事が苦手だった私にとって競馬は未踏の領域。最初は、これをどうやって面白く感じたらいいのだろう…
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亀井京子さん<4>夫との出会いは15分だけ参加した食事会
出しゃばり過ぎないようにしながらも手綱を引き、番組をコントロールできる手応えを感じられるようになってきた頃、希望していたスポーツ班の配属となった。私生活にも変化が生まれる。夫となる元巨人投手・林昌範…
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亀井京子さん<3>ホークス4番・松中の姿に心を揺さぶられ…
入社後は、よく分からないプレッシャーと常に闘っていた。せっかく採用してもらったのに自分は役に立てているのか、なぜほかに適任がいっぱいいるのに採用されたのか、私である必要があるのか――。そんな自問自答…
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亀井京子さん<2>アクセントに苦労 実家との電話が怖かった
2005年、3500倍の狭き門を突破してテレビ東京のアナウンサーとなった。学生時代からキャスターとして活躍していたものの、局アナ時代はどん底からのスタートだったという。 「4月からの研修では、…
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亀井京子さん<1>きっかけは「日テレイベントコンパニオン」
聖心女子大学に在学中、ファッション誌で「日本テレビイベントコンパニオン」の募集記事を見かけた。「おもいッきりテレビ」(日本テレビ系)などでアシスタントをする仕事だ。木佐彩子や中野美奈子、久保田直子を…
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石渡嶺司さん<4>学生のエントリーシートの添削がプラスに
「AERA」編集部でライターとして4年半ほど下積みし、2007年ごろには、日本初の“大学ジャーナリスト”として本格始動する。 「雑誌では、『大学』『教育』『就職』『転職』を軸に取材して原稿を書い…
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石渡嶺司さん<3>AERAにメールで企画を送ったら働くことに
2003年1月に編集プロダクションを退職し、フリーとして活動をスタート。処女作の“大学本”を名刺代わりに、あちこちの雑誌へ売り込みを始めた。夏ごろには、小学館クリエイティブから進路ガイドブックを出版…
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石渡嶺司さん<2>編プロで正社員になるも4カ月でクビ宣告
大学卒業後、実演販売の会社で勤務し、2002年4月に編集プロダクションに入社した。 きっかけは、休日に友人と回った大学の学園祭。Fランク大(低偏差値校)の学生たちの無気力な姿を見たからだ。不…
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石渡嶺司さん<1>就職ガイダンスには一度も行かなかった
昨年は、日大アメフト部騒動や医学部入試の男女格差など大学を巡るトラブルが相次いだ。お茶の間でこの顔を見た人は多いのではないか。 「これまでは紙やネット媒体が中心で、テレビは年間3~4回電話出演…
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菊池康平さん<5>1試合も出場できず休職期間が終わり帰国
ボリビアでプロ選手として練習している間も、パソナの先輩やクライアントの方々は僕のブログにコメントをしてくれるなど、応援をしてくれていました。ときには、日本の清潔なオフィスに戻りたいと思うこともありま…
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菊池康平<4>13カ国目のボリビアで念願のプロ契約を獲得
パソナを1年休職して、向かったボリビア。ところが、ボリビアに着いてすぐ、食事を取り過ぎて食中毒になり、入院してしまったんです。その前に行っていたパラグアイの寮では食事に困る環境でしたが、ボリビアで訪…
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菊池康平さん<3>企業と派遣の間に入って労働環境を調整
パソナでは法人の新規開拓営業をやった後、担当する企業と派遣社員との間に入って、労働環境などを調整する仕事も経験しました。双方から、「もっと、こうしてほしい」という意見を聞き取って、互いに納得のいく形…
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菊池康平さん<2>パソナに就職、会社員として働き始めた
最初は「とりあえず内定だけもらえれば」と思っていた就職活動でしたが、何社も不採用となっていくうちに、内定というものの価値を実感するようになりました。そして「採用してもらえるなら、絶対にその会社に就職…
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菊池康平さん<1>海外でプロ選手への道を模索した大学時代
小学生の頃から「プロサッカー選手になりたい」という夢を持ち続け、学生時代、会社員時代にいくつもの国に渡ってプロへの挑戦を続けたという菊池康平さん。2008年には13カ国目の挑戦となる南米ボリビアのチ…
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安部龍太郎さん<5>辞表を出すと言ったら両親兄弟が猛反対
2年余り、安部さんは公務員を辞めて本気でプロを目指すかどうか、悩みに悩んでいた。 「あれは、ちょうど28歳のときです。同人誌で一緒にモノを書いている友人が、10日間のインド旅行に誘ってくれたん…
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安部龍太郎さん<4>異動先の上司が理解を示してくれて…
1980年、安部さんは大田区役所勤務4年目に、“念願かなって”下丸子にあった図書館に異動になる。 「異動して一番恵まれたのは、そこに“作家になりたいボクの夢”に理解を示してくれた上司がいたこと…