喜怒哀楽のサラリーマン時代
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安部龍太郎さん<3>図書館勤務を直訴したら上司から大目玉
「最初の配属先は区民係でした。税金を払う人の受け付けなど窓口対応です。他に青少年対策や美化委員会の事務局も担当しました。仕事は、残業はないし全くカレンダー通り。学生時代に自分が想像していた通りの“楽な…
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安部龍太郎さん<2>無断欠勤して井伏鱒二宅をアポなし訪問
東京23区の合同採用試験に合格した安部さんは、1977(昭和52)年の春、福岡県から上京する。 目黒区にあった「総勢200人ほど入る」公務員独身寮で新生活がスタートしたが、安部青年の上京の目…
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安部龍太郎さん<1>東京に来た目的は「作家になるため」
直木賞作家の安部龍太郎さん(64)は、福岡県八女市出身。久留米高専機械工学科在学中に、「作家になる」と決意。卒業と同時に上京し、大田区役所に就職した。区民係を振り出しに区立図書館の司書も務め、執筆活…
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藤北誠也さん<4>ファイトマネーよりバイト代の方が多い
ミスゼロルールを達成し、2012年9月に日産プリンス東京販売を辞める決意を固めたが、そうすると、月15万円前後の安い月給とはいえ、収入が途絶える。生活する上で無収入は痛い。貯金の準備をしていた。 …
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藤北誠也さん<3>40代の先輩の給料が自分と変わらず驚いた
日産プリンス東京販売への就職に合わせ、あこがれのボクシングへの道を目指すべく、社員寮近くの三迫ジムに入会したが、当時はせいぜい週1回通うのが精いっぱい。「仕事の疲れでたまの休日も休みたくて、月に1回…
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藤北誠也さん<2>月収は手取り15万ほどで工具はすべて自腹
日産プリンス東京販売の支店には、整備士が藤北さんを含め7人。ミスできないプレッシャーがとにかく苦しかった。それで先輩に相談すると、必ず言われる決まり文句があったという。 「『メカニックとして成…
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藤北誠也さん<1>父に「一度は地元離れろ」と言われ東京へ
ボクシングのチャンピオンは、高校や大学のボクシング部からステップアップするのが一般的な流れ。しかし、来年、フライ級のタイトルマッチを予定している3位の藤北誠也選手(31)は、学生時代にボクシング経験…
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樋田かおりさん<4>企業広報を手伝う「女子アナ広報室」を
女子アナには30歳定年説がある。若くてきれいな女子アナも、やがて後輩の若い女子アナに取って代わられる。また、昼夜逆転もあるハードな職場で、結婚や子育てをしながらフルタイムで勤務するのは困難だったりも…
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樋田かおりさん<3>中京テレビでは「ZIP!」のキャスターに
2011年の夏、樋田さんは東京にいた。 東日本大震災直後ということもあり、次の就職先が見つからない。焦りが出始めた木の葉が色づく頃、ようやく中京テレビへの採用が決まった。朝の情報番組「ZIP…
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樋田かおりさん<2>震災直後に退社も再就職が決まらず…
人との縁は人生を変える。身近にいる職場の上司は、なおのこと影響を受けやすい。 「2011年3月末をもって青森放送を退社することに決めました。特に説明するような深い理由もなく、4、5年後の自分を…
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樋田かおりさん<1>青森放送時代の上司との出会いで激変
樋田さんは元青森放送のアナウンサー。中京テレビを経て、現在は現役女子アナウンサーが社員研修やビジネスマナーなどを教える「トークナビ」の代表を務める。所属する女子アナは総勢34人の大所帯だ。 …
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小島慶子さん<5>管理職には向かない 社内表彰で退社を決意
会社を辞めようと思ったことなど一度もなかった。出産後もやりたいことをやらせてもらっている。自分は恵まれていると感じていた。 ただ、周囲が思い描く「女子アナ像」には違和感を覚えていた。なぜ優等…
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小島慶子さん<4>ラジオのメイン司会でギャラクシー賞受賞
お涙頂戴の演出に納得がいかず、アシスタントとしての役目を果たせなかった。プロデューサーに怒鳴られ、大物司会者からは共演NGとなる。この一件をきっかけに、テレビのバラエティー番組から遠ざかった。その頃…
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小島慶子さん<3>お涙頂戴に仏頂面で大物司会者と共演NGに
入社3年目になると、ひと通りの仕事はこなせるようになってきた。日の当たらない“番宣”にも前向きに取り組んだ。 「新番組の紹介って、当時は“二軍”のディレクターとアナウンサーがやるものだという暗…
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小島慶子さん<2>見た目で判断される“女子アナ”に違和感
念願通りアナウンサーとなったが、新人時代は“問題児”だった。入社して間もない4月に、先輩アナウンサーの長峰由紀さんが司会を務めるBS番組に出演。「4月に入社した小島慶子です!よろしくお願いします!特…
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小島慶子さん<1>大学1年生で就活開始 会ったOBは100人近く
1995年、アナウンサーとしてTBSに入社。2010年に退職後はフリーとなり、タレント、エッセイスト、大学院の研究員とさまざまな分野で活躍の場を広げている。「女子アナ」と呼ばれて人気が出ても、心のど…
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河合雅司さん<5>「出生数36万人激減」に目を奪われた
30代は政治の中枢で政局を見てきた。それを過ぎて記者生活の後半になると、政策が取材テーマになった。厚労省の記者クラブに異動し、現在のテーマである少子高齢化の人口問題に携わったのがきっかけだ。 …
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河合雅司さん<4>5人の北朝鮮政府関係者にマークされて…
2002年9月17日、平壌で小泉首相と金正日朝鮮労働党総書記が日朝首脳会談を行った。河合さんは担当記者として同行し、歴史的な場面に立ち会った。 「最初に秘書官の飯島さんから『総理が北朝鮮に行く…
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河合雅司さん<3>会長職返上で派閥を飛び出した小泉元首相
森政権の途中で総理番を卒業してからは、自民党の派閥を担当した。持ち場は森派(現・細田派)の清和会だ。当時の小泉純一郎会長に張り付き、毎日、事務所に通った。 「小泉さんとも波長が合って親しくさせ…
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河合雅司さん<2>囲み取材で小渕首相の変調に気づかず…
初任地の山形支局の次は多摩支局に赴任した。このとき初めて経験したのが夕刊の紙面づくり。山形エリアには夕刊がなかったため、日中に締め切りを迎えるのは新鮮だった。 その後、政治部に異動。“新人”…