オリックス元代表 球界への遺言
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日本の野球に「ビデオ判定」も「代理人制度」もいらない
ある試合でビデオ判定が行われることになった。当日の審判がネット裏でビデオを再生し、ジャッジをする。ところが、必ずしも機械に強い人ばかりではない。ビデオを再生したところ、どうも様子が違う。よくよく見る…
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三輪田の死もダイエーのスパイ疑惑も球界には他人事だった
1998年、三輪田勝利編成部長が亡くなった事件は、球界のみならず、世間に大きな衝撃を与えた。 オリックスがその年のドラフトで、ダイエー以外は進学と言っていた沖縄水産高の新垣渚投手を指名。入団…
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広島が口火を切り巨人が合いの手を入れる図式だった
「以前から申し上げている通り、ドラフト制度には反対の立場ですが、今すぐ制度を撤廃して自由競争にできないのであれば、現行の逆指名制度は継続しなければ、仕方がないでしょう」 12球団代表者会議であ…
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「負けてクビは当然」宮内オーナーには尻を叩かれた
オリックスの球団代表だった当時、宮内義彦オーナーからはよく、「米国のように本当のプロにならなきゃいかん」と言われた。 チームが負けると「おい、おまえ、メジャーに詳しいから知っているだろう。負…
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試合に負けると朝一番に宮内オーナーから自宅に電話が
「きのうはどうしたんだ!」 早朝、自宅の電話が鳴る。受話器を耳にあてたとたん、宮内義彦オーナーの怒声が飛び込んでくる。前夜、オリックスが負けたことが納得できないのだ。 「なんで、あんな場…
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「10年は手放さない」宮内オーナーにハッパをかけられた
日本のプロ野球界には無駄も多い。例えば遠征時の移動だ。 総勢54、55人くらい。首脳陣と選手で30人ほど。これに裏方が加わる。バッティングピッチャーとか、ブルペンキャッチャーとか、そういった…
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マスコミに「ケチックス」とたたかれフロントは戦々恐々
球団をスポーツエンターテインメントビジネスとして成り立たせたい、できるだけ早く黒字になるような球団経営をしたいという、宮内義彦オーナーの考えは理解できた。 わたしがオリックスに入って最初に驚…
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2軍なぜ必要なんだ 宮内オーナーはビジネスライクだった
「趣味や道楽で球団を持ったわけじゃない。あくまで会社経営なんだ。日本のプロ野球は親会社の宣伝機関になっているチームが多いから、どんぶり勘定になるのかもしれないが、それはいかん。アメリカのようにスポーツ…
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オリに履歴書を送っても3カ月近くなしのつぶてだった事情
1989年1月、わたしはニューヨークでビジネスコンサルタントの会社を起こす準備をしていた。 かつて勤務していた丸善石油は、石油会社の大手。日本石油、出光興産とともにシェアを分け合っていたが、…
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門田博光は自分専用のロッカールームを欲しがった
プロ通算2566安打の門田博光がオリックスでプレーしていたときの話だ。 確か、シーズン中だったと思う。門田があるとき、「自分専用のロッカールームをつくってもらいたい」と言い出した。他の選手と…
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難航した東海大付属校の強打者獲得 切り札は原貢氏だった
■監督とブローカーに300万円ずつ オリックスがかつて、ドラフトで東海大の付属校のスラッガーを獲得しようとしたときの話だ。 当初、流敏晴スカウトが担当したものの、らちが明かない。野球部…
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早大の和田毅が「巨人と阪神には行かない」と言った理由
「ウチの和田が大リーグに行きたがっているので、一度、本人に会って、メジャーの話をしてもらいたいのですが……」 2002年、早大野球部の野村徹監督から電話がかかってきた。「和田」とは当時、早大の…
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マ軍のイチロー獲得も年俸抑制も任天堂山内社長の意向
■コルボーンも推薦 2000年オフ、マリナーズがイチローの交渉権を得るために提示した金額は約14億円だった。 オリックスに入るこの金額は、あくまでイチローと交渉するためのものであって、…
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イチローの入札金で頭を抱えるマリナーズ社長に話したこと
「ホトホト、困ったよ。最後の最後に数字を出さなければならないんだけど、他球団がどれくらいの金額を入札しているのかつかめないんだ……」 マリナーズのチャック・アームストロング球団社長は電話口の向…
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イチロー 入札制度による移籍が決まるまでの交渉過程
1996年オフ、長谷川滋利がエンゼルスに移籍した後のことだ。イチローにあるとき、「おまえもメジャーでやりたいと思っているんじゃないか?」と聞いたことがある。 すると、にこにこしながら「僕の腕…
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「オリがイチローを売るために入札制度を作った」はウソ
伊良部秀輝のヤンキース移籍で、メジャーが問題にしたのはタンパリング疑惑だけではなかった。 伊良部はまず、ロッテからパドレスに移籍。パドレスからトレードによってヤンキースに入団した。この過程で…
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ヤ軍オーナー顧問弁護士が大慌てでかけてきた電話の中身
伊良部秀輝のヤンキース移籍は、日米両球界に大きな波紋を呼んだ。 ロッテはまず、業務提携を結んでいたパドレスと交渉を始めた。しかし、伊良部はパドレスへのトレードを拒否、ヤンキース入りを熱望した…
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長谷川滋利のメジャー移籍を認めた際の「4つの条件」とは
長谷川滋利がメジャー挑戦を訴えてきたのは、野茂英雄が海を渡る以前、1992~93年のオフだった。 雑談の中でしきりに米球界について話すので、ひょっとしてメジャーに興味があるのか? と水を向け…
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野茂が本気で野球を辞めると思い込んでいた近鉄球団社長
「もめるのは仕方ない。ただ、FAやないんやし、どこにも行きようがありまへんわ。最後は落ち着くところに落ち着きますやろ」 1994年オフ、近鉄の前田泰男球団社長はわたしにこう言った。球団と契約更…
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マンション壁の引っ掻き傷と解剖を頑なに拒んだ警官上司
編成部長の三輪田勝利が沖縄の賃貸マンションから身を投げて亡くなり、こちらから矢野清管理部長以下、数人が現地に足を運んだ。その中のひとり、あれはスカウトの流敏晴の話だったと思う。 彼らが地元の…