オリックス元代表 球界への遺言
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「オレをクビにするつもりだろう」土井監督は何度もカマを
1991~93年、オリックスの指揮を執ったのは土井正三監督だった。 3年間ともパ・リーグ3位。いずれの年もリーグ優勝は西武。就任1年目から18.5、18、3.5ゲームと西武との差は劇的に縮ま…
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CM出演料1億円に12社が名乗り イチロー人気の凄まじさ
1994年、イチローが当時の日本記録である210安打をマークしてその人気は全国区に。広告代理店が本格的にCMのスポンサーを募集したらどうかと話をもってきた。 出演料1億円を条件に話を受けたい…
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広告代理店に鼻で笑われたイチローの「CM出演料1億円」
「これだから素人は困りますね……」 その瞬間、広告代理店の担当者はこう言ってケタケタと笑い出した。 プロ3年目のイチローがブレークした94年の話だ。彼は日本記録を塗り替えるペースで安打…
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仰木監督がパンチをダシにして誕生 「イチロー」命名秘話
1994年4月7日、開幕2日前の練習中だった。 仰木彬監督と新井宏昌打撃コーチが、ケージの後ろでプロ3年目を迎えた「鈴木一朗」のフリー打撃を見守っていた。 口火を切ったのは新井コーチ…
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イチロー明かす 「狙った一発」とそうでないものの違い
イチローはオフになると、毎年のように神戸にやってくる。勝手知ったる古巣で自主トレを行うためだ。 その日は、たまたま藤井(康雄=現ソフトバンクコーチ)が来ていて、わたしも含めた3人で話をしてい…
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イチローの4位指名と宮内オーナーに二軍選手を見せた経緯
「ダメです。4位までに指名しなければ、絶対に取れません」 91年、ドラフト前日のスカウト会議だった。当時、愛工大名電(愛知)の投手だったイチローこと、鈴木一朗の獲得を強硬に主張したのは三輪田勝…
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年俸上積みを要求 21歳イチロー“最初で最後”の言い分
マスコミのマークをかいくぐり、わたしの自宅マンションで始めたイチローとの年俸更改の事前交渉。 こちらが提示したのは、①年俸8000万円プラス2000万円の出来高払い②年俸7000万円プラス4…
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210安打達成した94年 イチロー極秘契約更改交渉の中身
1994年のシーズンオフのこと。わたしはイチローを自宅に呼んだ。秘密裏に契約更改の事前交渉をするためだ。 イチローはその年、プロ野球記録(当時)となる210安打を放った。プロ3年目で、10月…