ゴルフは本当に面白い!
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さとう宗幸さん(2)今よりずっと厳しかったシングルへの道 「9」になった時は本当に嬉しかった
ハンディが減ったのは32歳、33歳の頃。「青葉城恋唄」のデビューから4年くらい経って、TBSの「2年B組仙八先生」というドラマをやった年からですね。 あの頃、TBSのスタジオは赤坂にあって、…
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さとう宗幸さん(1)「青葉城恋唄」の1年後、仙台のゴルフ倶楽部のメンバーになってハマっていった
ゴルフを始めたのは、今から48年前の1977年。「青葉城恋唄」とめぐり合う1年前です。その頃は知人のお店で歌わせてもらって、家族が食べていける分だけ稼げれば、という生活でした。 夜の仕事が多…
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森末慎二さん(4)今も20年前のクラブでプレー ゴルフは道具じゃないと思っています
試合でキャディーをした圭ちゃん(深堀圭一郎)やマル(丸山茂樹)の他にも、プロゴルファーとのご縁があります。日体大の2つ先輩の室田淳さんは、試合じゃないと「うわー、今日はゴルフだ。仕事じゃない!」なん…
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森末慎二さん(3)思わず口を衝いた一言が、「森末効果!」とスポーツ紙に大きく扱われました
ガン撲滅東西対抗(ガン撲滅基金 高松宮妃賜杯争奪 ゴルフ東西対抗競技大会)も印象に残っています。1994年にスタートし、2006年まで続いた大会です。 東京の若洲ゴルフリンクスで開催された0…
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森末慎二さん(2)ハンディ3までいったものの…自己流の限界、イップスの発症
千葉県の袖ケ浦CCで研修会に入り、さらに腕を磨いたのですが、ここで一つ後悔があります。 私は最初からずっとゴルフはすべて独学。レッスンプロに習っておけばよかったなと今になって思うのです。 …
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森末慎二さん(1)前の組のおじさんのジョークにカチンときて、1年でシングルになりました
ゴルフを始めたのは、大学(日体大)を卒業して社会人になってからです。紀陽銀行で体操競技をしていたのですが、10月の全日本体操選手権が終わるとオフに入ります。本店にあいさつした後、白浜(和歌山県)の保…
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川淵三郎さん(4)人生唯一のホールインワンは28年ぶり五輪出場をかけたあの「運命の一戦」の当日でした
1990年のイタリアW杯の時に、ローマのゴルフ場でプレーしました。そこはすり鉢の底のような地形にレイアウトされた、絵に描かれたような美しい超名門ゴルフ場でした。 ところが、前の組がとにかくプ…
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川淵三郎さん(3)古河電工の営業マンとして名古屋に転勤、そこで一番「嬉しかったこと」は…
本格的にゴルフを始めたのは、サッカー選手としての現役を引退し、「古河電工の営業としてしっかり働け」と言われた40歳過ぎ。その後、名古屋支店の金属営業部長になるんですが、ゴルフ環境は東京より格段に良く…
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川淵三郎さん(2)打ち込んでしまった先にいたのは、なんと田中角栄さん。「えらいところまで打つね」と褒められた
サッカー選手に飛ばし屋が多いのは、体幹の強さがキックの練習で身に付いているから。飛ばすためには、腹筋と背筋が重要だとよく言われますが、そもそも腹筋と背筋が強くないとボールは蹴れません。キックの練習で…
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川淵三郎さん(1)人生2度目にクラブを握ったのは、国会で問題になった東京大学のゴルフ練習場でした
最初にクラブを握ったのは、浪人している時だから19歳の時。高校時代の友達に誘われて、中百舌鳥(なかもず)の練習場に行ったのが最初でした。高校の近くで、南海ホークスの二軍の練習場もありました。 …
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荻原次晴さん(4)100を切ってワクワクする感じがちょうどいい。もし平均80なんかになったら大変です
ベストスコアは「88」。10年くらい前、どこだか忘れちゃったけど、千葉のコースでした。100が切れれば、「家に帰ってからの一杯がおいしい」という感じがずっと続いていたんですけど、この時は奇跡が重なり…
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荻原次晴さん(3)ジャンパーにはゴルフ好きが多いのは「レジェンド」の影響です
双子の兄(健司氏=長野市長)とゴルフをしたことは……大昔にあったかな? そのうち一緒にやれたら楽しいだろうな、と思いますけど、今はお互い忙しいですからね。 ジャンプの選手はゴルフ好きが多いで…
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荻原次晴さん(2)石川遼くんにクロスカントリーの指導をしてビックリ!大会に出られるレベルだった
プロコーチ、内藤雄士さんの番組のゲストでレッスン生になる仕事をいただいた時、「せっかくなので真剣にやらないと失礼かな」と思い、それでゴルフと向き合うことになりました。 同い年(1969年生ま…
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荻原次晴さん(1)小さい頃から、兄の健司とゴルフクラブで戦いごっこをしていました
ゴルフは小さい頃から身近にありました。祖父が故郷の草津CC(群馬県)の副社長で、祖父を迎えに来た車に一緒に乗ってゴルフ場に行き、芝の上を散歩したりしていたんです。 祖父とは残念ながら一緒にプ…
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城彰二さん(4)父は真のゴルフバカでした 亡くなるまでにした5回のラウンドが唯一の親孝行
ベストスコアは68です。今年の2月に69が出て、その翌週に自己ベストを更新しました。 場所は埼玉県の鳩山カントリークラブ。佐藤一成プロと一緒でした。ティーチングプロ会員だった佐藤プロは、今年…
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城彰二さん(3)ドライバーで310ヤード飛ばす極意…力は8割、ミート率を上げて回転数を抑えること
ドライバーで310ヤード飛びます。レギュラーティーのパー4だと、2打目はグリーンまで30ヤードくらい。一時はコースマネジメントもあまり考えず「飛ばせるだけ飛ばそう」と、力任せに振っていました。 …
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城彰二さん(2)ティーを立てることすら知らない状態で臨んだ初ラウンド、結果は「96」でした
現役時代はゴルフに何の興味もなかった僕ですが、31歳で突然、ゴルフに触れるきっかけが訪れます。テレビ東京から「ある程度のお金を用意しますので、そのお金をのちの人生を裕福にするために使ってほしい」とい…
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城彰ニさん(1)ノンプロ野球選手だった父のせいで、子どもの頃はゴルフが大嫌いでした
ノンプロ(実業団野球)の選手だった父は、昔からゴルフも大好きでした。僕にもジュニア用の小さいクラブを作ってくれましたが、それを振った記憶がありません。たぶん、ものすごく嫌になっちゃったんですね。 …
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デーブ大久保さん(4)デビュー戦では「出てくんじゃねえ」と悪い声も聞こえてきました
プロゴルファーとしてのデビュー戦は狭山(ゴルフ・クラブ=埼玉)で行われた2002年のダイヤモンドカップ。主催者推薦で出場しました。 初日のスタートホールはパー5。緊張しましたよ。ティーに置い…
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デーブ大久保さん(3)激白!プロゴルファー転向秘話…2度目のプロテストで涙が止まらなかったワケ
プロになるには「1日500球と週2回のラウンド」が必要だと横田真一プロから言われ、「よし、今日から始めるぞ」って宣言、さっそく24時間営業のトーキョージャンボゴルフセンター(足立区入谷)に行きました…