平成バラエティー史
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テレ朝“芸能人格付けチェック”の躍進で露呈したフジの凋落
国民的テレビ番組にまでなった「芸能人格付けチェック」。もともと「人気者で行こう!」(テレビ朝日系)の1コーナーだった。司会は浜田雅功と伊東四朗。「ダウンタウンの笑ってはいけない」「とんねるずのスポー…
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みのさんは優勝当夜の朝青龍を“ミリオネア”飲み会に呼び…
「ファイナルアンサー?」という流行語を生みだした「クイズ$ミリオネア」。挑戦者にクイズの答えを迫る司会のみのもんたのじらした表情も記憶に残る番組だった。 「みのさんは一時期、朝と昼に帯番組を持ち…
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ミレニアムの年末特番で勃発した“めちゃイケ”vs“電波少年”
事件はミレニアムの年末特番で起きた。 「大晦日に岡村さんがお台場で5キロのマラソンを走るという“オファー”がありました。しかし、予定されていた5キロを過ぎても岡村さんは止まらず、そのまま走り続…
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シェフがアーティストに フジ「料理の鉄人」は料理番組に革命を
「『料理の鉄人』で、料理番組に革命が起きました。それまでは『きょうの料理』(NHK)や『世界の料理ショー』(テレビ東京系)などのように、作り方を説明しながら、料理を作る番組が主流でした。しかし、この番…
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“電波少年”は企画次第で視聴率が取れる革命的な番組だった
テレビ離れが叫ばれる昨今だが、一昔前はテレビの前で大いに笑ったし、泣いたし、トレンドも知った。ナレーターの木村匡也さん(52)は、1992年「進め!電波少年」(日本テレビ系)を端緒に「めちゃ×2イケ…