芸能界と格闘技界 その深淵
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野蛮と見られかねない格闘家 “可愛らしさ”がないと人気者にはならない
アメリカに本部を置くキックボクシングとプロ空手の国際組織「ISKA」の日本事務局長として、多くの海外選手のブッキングを手掛けている中崎寿光は、知り合いの東京スポーツの記者から「たくさん余ってるから」…
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「UFO・LEGEND」は制作側の苦心が実り瞬間最高視聴率21.2%を記録した
「2002年8月8日、大安吉日東京ドーム。誰が世界で一番強いのか。格闘技世界一決定戦!」という日本テレビアナウンサー(当時)福沢朗の力強い前口上が暗転の東京ドームに響きわたると「炎のファイター」に乗っ…
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猪木事務所のスタッフは「すみません、タイソンは来ません」それだけ言って引っ込んだ
《本当に来日すれば、猪木はかねてからぶち上げている異種格闘技戦への本格交渉に入る構え。「これだけの逸材は他にいない。タイソンをターゲットに本物の異種格闘技戦を展開できる」UFOの小川直也(34)藤田和…
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猪木事務所が「タイソンとマネジャーを含む3人が来日します」と宣言した
7月下旬、猪木事務所のスタッフは、プロボクシング元統一世界ヘビー級王者、マイク・タイソンの代理人にアポイントを取っていた。8.8「UFO・LEGEND」への来場を打診するためである。 このプ…
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「UFO・LEGEND」は猪木本人は稼働せず、名前を利用したPRが行われるようになった
8.8「UFO・LEGEND」と、8.28「Dynamite!」を、おそらく最も多く取材したのが「スポーツ報知」の記者で「昭和プロレス 禁断の闘い」(河出書房新社)などの著書を持つ福留崇広だろう。2…
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猪木の後見人となる百瀬博教はK-1で仕事をしたがった なぜ石井和義は拒んだのか
筆者の手元に古い新聞記事のコピーがある。見出しには《石原裕次郎宅を捜索 外人機長のピストル密輸事件》とある。 《警視庁組織暴力犯罪取締本部は十六日朝、映画俳優石原裕次郎さん(三〇)の自宅など、…
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一人一人に頭を下げお酌をすることも…アントニオ猪木に魅了され続けた男たち
8.8「UFO LEGEND」の開催まで3週間となった7月17日、滞在先のLAからようやくアントニオ猪木が帰国した。 成田空港で待ち構えていた記者からイベントの迷走ぶりを伝えられると「PRI…
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「UFO・LEGEND」には潤沢な資金はあってもイベントを盛り上げる頭脳がなかった
8.28「Dynamite!」が「吉田秀彦対ホイス・グレイシー」を発表した翌日、ケイダッシュ会長の川村龍夫と、日本テレビ編成部の宮本修二は揃って会見を開き、8.8「UFO・LEGEND」の主要カード…
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8.8「UFO・LEGEND」は小川直也vsM・ガファリ戦を発表したが、小川出場の可否は明言しなかった
「まずは8.28のチケットを買って頂き、それからもうひとつの大会のチケットを考えて頂ければ賢明か、と(笑)。(中略)8.8は観に行くつもりですが、8.8をみてよかった選手を8.28に出すとか、そういう…
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吉田秀彦のファイトマネーは2000万円! 実現したホイス・グレーシー戦
2002年7月9日、快晴の国立競技場で、異例の野外記者会見が開かれた。出席者は石井和義(K-1プロデューサー=以下、カッコ内は当時の肩書)、桜庭和志(高田道場所属)、森下直人(DSE社長)、渡辺純一…
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UFO・LEGENDは「小川直也選手の希望で『すべてガチンコで行きたい』と…」
2002年5月29日、仙台市内のホテルで囲み取材を受けたアントニオ猪木は、真夏に3つの大きなイベントが開かれることと、そのいずれも自分が関わることに言明した。3つのうちのひとつが8月10、11日に両…
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2002年の格闘技界ではあらゆる出来事が そしてボブ・サップが衝撃の1RKOデビュー
新たな格闘技コンテンツを立ち上げることにあたって、日本テレビが大手芸能プロダクション「ケイダッシュ」社長の川村龍夫を頼ったことはすでに述べた。アントニオ猪木を、そのアイコンに据えたかったからだ。 …
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石井和義が「今でも不思議」と…日テレはなぜ2001年「大晦日格闘技」プランを蹴った
長年、日本のプロレス界に君臨し続けたアントニオ猪木だが、1989年に参院選に当選すると、本職のプロレスは大会場のスポット参戦に限定されるようになる。98年4月に正式にプロレスを引退すると「世界格闘技…
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格闘技ブームで劣勢だった日本テレビはアントニオ猪木が欲しかった
割と長く放送作家という職にあった筆者は、芸能界には無数の事務所(プロダクション)があることを知った。歌手が在籍する事務所、俳優中心の事務所、お笑いタレント専門の事務所、声優や司会者の事務所……。それ…
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力道山のプロレスで先鞭 日本テレビはなぜ「格闘技ブーム」に取り残されたのか
2000年代の格闘技ブームに出遅れた感のある日本テレビだったが、格闘技コンテンツがなかったわけではまったくない。例えば「K-1」の中継をフジテレビに次いで着手したのは日本テレビである。1998年にス…
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格闘技にはマニアだけではなく世間を巻き込むパワーが備わっていた
2021年12月24日。東京ドームホテル・シンシアの間にて、100人を超すマスコミを集めて記者会見が開かれた。40戦40勝(28KO)という恐るべきレコードを持つ“神童”那須川天心と、新生K-1不動…
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TBSが仕掛けた大晦日戦争 猪木軍対K-1軍「INOKI BOM-BA-YE2001」放映の大成功
昭和の大晦日は歌の時代である。 夜7時からTBSテレビで「輝く!日本レコード大賞」(レコ大)が、夜9時からはNHKで「NHK紅白歌合戦」(紅白)が放映され、1970~80年代にかけての平均視…
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五木ひろしの光と影<31>奇跡の二冠を達成した野口修の絶頂と転落
1973年12月31日。帝国劇場。「日本レコード大賞」授賞式当日である。この時代、出場歌手の関係者は指定された客席の一角に陣取った。山口洋子と平尾昌晃の姿もあった。しかし、野口修はここには座らず、カ…
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五木ひろしの光と影<30>「賞レースで必要なのは金であって、接待」レコード会社元重役が証言
この時代、TBS「輝く! 日本レコード大賞」のプロデューサーだった砂田実は、第1回放送から番組に携わってきた、いわば「レコ大生みの親」の一人である。その後、TBSを退社し渡辺プロダクションに常務取締…
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五木ひろしの光と影<29>「五木をレコ大歌手にする」士気を高めた徳間音工の宣伝チーム
1969年に制定された「日本歌謡大賞」は、毎年高視聴率をはじき出していた「日本レコード大賞」に倣って、TBS以外の民放8局によって制定された音楽賞である。TBSが独占するレコード大賞のようにはせず各…