五木ひろしの光と影<31>奇跡の二冠を達成した野口修の絶頂と転落
1973年12月31日。帝国劇場。「日本レコード大賞」授賞式当日である。この時代、出場歌手の関係者は指定された客席の一角に陣取った。山口洋子と平尾昌晃の姿もあった。しかし、野口修はここには座らず、カメラが抜かない後方の席に徳間音工や野口プロのスタッフと一緒に座った。
「だって、俺の戦いは終わっていたもの。やるだけのことはやった。戦うのは五木だけ。審査前に全員が出揃って歌うでしょう。これで『やっぱりこいつにしよう』って考えが変わる審査員もいるからね、当日は歌手本人の戦い。事務所の人間がそういうところで目立っても意味がないしね」(野口修)
午後7時「輝く!日本レコード大賞」の放送が始まった。最初は新人賞の発表である。「涙の太陽」(安西マリア)、「コーヒーショップで」(あべ静江)、「赤い風船」(浅田美代子)、「わたしの青い鳥」(桜田淳子)、「草原の輝き」(アグネス・チャン)。この中から最優秀新人賞が選ばれる。下馬評ではアグネス・チャンの歌う「草原の輝き」が有力と伝えられた。ナベプロの所属というのも大きい。しかし結果は「わたしの青い鳥」が獲得した。桜田淳子の所属するサンミュージックは創業4年の新興プロ。それが最大勢力のナベプロに勝ったのだ。アグネス・チャンのデビューのきっかけをつくった人物にして、「草原の輝き」の作曲者である平尾昌晃の証言がある。