五木ひろしの光と影<30>「賞レースで必要なのは金であって、接待」レコード会社元重役が証言
この時代、TBS「輝く! 日本レコード大賞」のプロデューサーだった砂田実は、第1回放送から番組に携わってきた、いわば「レコ大生みの親」の一人である。その後、TBSを退社し渡辺プロダクションに常務取締役として迎えられ、さらにその後はテレビの制作会社を設立、「テレビ探偵団」(TBS)などの人気番組を手掛けた。
ナベプロとは長きにわたって近しい関係にあった砂田だが、1973年のこの頃は野口修とも親しく、プライベートで一緒になることも多かった。「立場上、どちらかに肩入れすることはなかった」と言うが、「でも野口さん、少しやりすぎたかな」と苦笑まじりに話した。
というのもこの年、野口修は「レコ大審査委員の大ボス」と呼ばれた音楽評論家の平井賢を抱き込み、票の取りまとめを依頼していた。「姫」のナンバーワンホステス、大門節江の後見人でもあった平井は、音楽業界の黒幕的な存在で隠然たる力を持っていたのだ。番組プロデューサーの砂田実がこの翌年、平井を投票権を持たない運営委員に棚上げすることで影響力をそいだのは、この年の野口修との癒着がきっかけだったという。