芸能界と格闘技界 その深淵
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五木ひろしの光と影<28>レコ大をめぐるナベプロvs野口プロの熾烈な戦いは「文字通り戦争」
拙著「沢村忠に真空を飛ばせた男」の登場人物で、「この人に話が聞けたのは大きかった」という人物が何人かいる。キーパーソンという存在だ。その中の一人が、かつて徳間音工の宣伝部に属していた中邑健二氏である…
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五木ひろしの光と影<27>歌謡界の金字塔・日本レコ大で「絶対にナベプロに勝ってみせる」
以前、往年のアイドル歌手にまつわる週刊誌の特集記事を担当した際、3人の関係者に会って話を聞いた。一人はアイドル雑誌の元編集長、一人はカメラマン、一人はレコード会社の元重役である。その元重役はアイドル…
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五木ひろしの光と影<26>「ナベプロ帝国」支配者・渡辺晋はなぜ賞レースに消極的だったのか
ジャズグループ「シックスジョーズ」のバンマスにして名うてのベーシストとして、大学生のダンスパーティーや米軍キャンプで演奏していた渡辺晋が、旧来の芸能興行から脱皮し、芸能プロダクションの近代化を目指そ…
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五木ひろしの光と影<25>野口修は「『夜空』でいける。短期決戦だ」とはねつけた
夏の終わりのことである。軽井沢にある山口洋子の別荘でちょっとした宴会が開かれた。野口修、平尾昌晃、徳間音工のスタッフ、TBSのキック中継のスタッフ、「姫」のホステスとポーター、野口プロのマネジャーら…
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五木ひろしの光と影<24>「平尾センセ、『姫』の山口洋子さんってどんな人だった?」
TOKYO MXの夕方の情報番組「5時に夢中!」。そのスピンオフ企画として2010~16年に、年が明けてすぐの午前0時から2時間枠で放映していたのが「目指せ!場末の歌姫『おママ対抗歌合戦』グランドチ…
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五木ひろしの光と影<23>山口洋子は平尾昌晃に「ズズとの仕事はほどほどにして」と懇願した
日本中を席巻したGS(グループサウンズ)ブームで、名実共に頂点に立ったザ・タイガース。そのリードボーカルの沢田研二は、グループ解散後の1971年11月「君をのせて」でソロデビューを果たすと、2枚目の…
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五木ひろしの光と影<22>野口修は「今年はボクシング、キック、芸能のタイトルを絶対取る」
1973年初頭、野口修は野口プロモーションの社員を前に高らかに宣言した。 「いいか、今年は3つのタイトルを取る。3つのタイトルだぞ。いいか。絶対取る」 「3つのタイトル」とは、プロボクシ…
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五木ひろしの光と影<21>五木ひろしは2年連続栄冠逃し…厚かった「ナベプロの壁」
五木ひろしが初めて「日本レコード大賞」の候補曲にエントリーされたのは1971年の「よこはま・たそがれ」である。この年のそれ以外の候補曲は以下の通り。「傷だらけの人生」(鶴田浩二)、「おふくろさん」(…
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五木ひろしの光と影<20>「紅白」と「レコ大」を制するということは「日本の歌謡界を制すること」だった
師走近くになると筆者の脳裏には、少年時代に見た大晦日の「日本レコード大賞」と「紅白歌合戦」の“瞬間移動”の情景が思い出される。「日本レコード大賞」が午後8時50分に終わると、受賞歌手は感激に浸る余裕…
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五木ひろしの光と影<19>1971年3月、野口プロ芸能部・第1号歌手「五木ひろし」が誕生した
株式会社野口プロモーションは、ボクシングジム(野口ボクシングクラブ)の経営と、興行の開催、外国人選手の招聘、ボクシング中継番組のプロモートを目的に、1959年に設立された。社長は弱冠25歳の野口修で…
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五木ひろしの光と影<18>「先輩、実は新しい芸名が付いたんです」と青年・三谷謙は言った
拙著「沢村忠に真空を飛ばせた男」の主人公である野口修に筆者は、時間をかけて芸能界参入についての話を聞いた。参入を決めたのは1971年1月ごろで、話を振ったのは山口洋子。「いい歌手がいる。カムバックに…
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五木ひろしの光と影<17>他の審査員の目に留まっては横取りされてしまう
「全日本歌謡選手権」の審査員をしていた山口洋子が、番組の出場者で無名の下積み歌手、三谷謙を初めて見たのは1970年11月下旬と思われる。三谷謙の歌唱力に衝撃を受けた彼女の、以後の行動を要点ごとにまとめ…
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五木ひろしの光と影<16>「よこはま・たそがれ」誕生秘話…演歌ではなくアメリカンポップス
山口洋子は「全日本歌謡選手権」で6週目まで勝ち抜いた無名の下積み歌手、三谷謙の再デビューをプロデュースしようと、平尾昌晃に8編の詞を渡した。平尾によると、いずれも凡庸なもので「これじゃあ、ちょっと難…
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五木ひろしの光と影<15>山口洋子は「今までになかった曲にしたい」と訴えた
「沢村忠に真空を飛ばせた男」を上梓するにあたって筆者は、銀座のクラブ「姫」に足しげく通った多くの関係者に話を聞いた。その際、彼らは「2階にカフェがあってねえ」と幾度となく口にした。 「カフェって…
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五木ひろしの光と影<14>所属レコード会社の事務員ですら三谷謙が専属歌手だとは知らなかった
「ねえ、三谷謙君の曲を一緒に作らない?」 共に「全日本歌謡選手権」(読売テレビ)で審査員をつとめる山口洋子にそう言われた平尾昌晃は、即答しかねたが、あれこれ言われているうちに、うまく丸め込まれ…
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五木ひろしの光と影<13>山口洋子からの初電話「三谷謙君って知ってる?」
ある晩、平尾昌晃の自宅の電話が鳴った。電話の主は山口洋子だった。「全日本歌謡選手権」(読売テレビ)で同じゲスト審査員として出演する間柄で当然顔見知りなのだが、平尾が不思議に思ったのは、彼女に自宅の電…
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五木ひろしの光と影<12>山口洋子からの突然の電話「三谷謙君の曲を一緒に作らない?」
10週勝ち抜いての再デビューを目指し「全日本歌謡選手権」(読売テレビ)に出場、1週目を「噂の女」(内山田洋とクール・ファイブ)を熱唱して勝ち上がった三谷謙(後の五木ひろし)は、翌週も「目ン無い千鳥」…
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五木ひろしの光と影<11>山口洋子は「男一匹の勝負を挑んでいる」と絶賛した
現在、動画サイトYouTubeに「五木ひろし誕生!! 全日本歌謡選手権の10曲」なる動画が上がっている。7年前に作られた動画でこれまでの再生回数は242万回。残念ながら当時の音源ではなく、その後テレ…
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五木ひろしの光と影<10>平尾昌晃は思いつめた顔の三谷謙に声をかけた
作曲家、平尾昌晃は1970年の晩秋に起きた出来事を比較的、鮮明に記憶していた。 「出場者の音合わせが終わった。それでも、まだ本番まで時間が余っている。『純ちゃん(長沢純)、どこ行ったかなあ』っ…
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五木ひろしの光と影<9>平尾昌晃は三谷謙が一節歌ったのを聞いて「ぶっ飛んじゃった」
1970年11月のある日のことである。この日「全日本歌謡選手権」審査員の平尾昌晃はマネジャーの手違いで2時間も早く収録会場である藤井寺市民会館に到着した。当然、楽屋には誰もいない。今のようにスマート…