明石家さんまと40年
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(10)誘われたテニスで空振りすると「話が違うがな~」と爆笑された
さんまさんと1年間「イッチョカミでやんす」という番組を担当したわれわれ日テレ3人組は、すっかり“明石家さんま依存症”になってしまった。何かさんまさんと一緒に時間を過ごすだけでウキウキと楽しくなってし…
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(9)美人女子アナに「私が嫌いな男」を語らせると目の色が変わったさんまさん
「恋から」が始まるきっかけとなった番組は1992年のあるスペシャル番組だった。フジテレビでビートたけしと明石家さんまが「ひょうきん族」で共演していた頃からもう5年以上共演がほぼなかった頃だ。「世界まる…
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(8)独身に戻ったさんまさん宅で夜な夜な食事会「毎日やろかぁ~」
1988年に結婚したさんまさんと大竹しのぶさんとの間に「いまるちゃん」が生まれた時も世田谷の産院の前で小杉さんと私が待機して、写真誌などに写真を撮られないように不動産屋で落成式などに使う紅白幕を借り…
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(7)西麻布のカフェに設置した800万円のセット 本番直前に「あ、それ、要らんわ」
ようやく、さんまさんに認めてもらえる立場になり、ついに“日テレ3人組”はさんまさんにあるカフェに呼び出された。 「君たち。番組をやりたいんやろ。何がやりたいねん?」 と言うので恐る恐る…
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(6)「フジは家庭用小型サウナ…そうや、日テレはプールやね」収録中のひと言に途方に暮れた
後の“T部長”こと土屋敏男は他局のスタジオに忍び込み、本番が終わると夜な夜なターゲットの出演者たちと飯を食い、酒を飲み、朝まで雑談をする。一方で明石家さんまは「オレたちひょうきん族」で“タケちゃんマ…
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(5)「戦争には実弾が必要だ」編成部長が着手した日テレ大改造
当時「さんまさんの『いいとも』のトークには台本がある」と言ってくるスタッフや放送作家もたくさんいたが、“突然現れた笑いの天才による臨機応変のフリートーク”だったからこそあの面白さが出たのは間違いない…
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(4)明石家さんまが私に語った「笑いは“緊張”とその“緩和”」
日本テレビは創業者の正力松太郎が没した1969年当時、11億円(現在だと110億円ぐらいと思われる)もの莫大な粉飾決算を出した。これにより6年もの長い間、新入社員を採用できなかったのである。だから「…
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(3)日テレはさんまにふさわしい企画も演出家もあてがうことができず…
最近、ウィキペディアなどの番組についての情報を見ていると、かなりの誤謬・間違いを見つけることがある。今回はいろいろな方々にも確かめて、できるだけ正確に明石家さんまと私たち日本テレビのスタッフとの歴史…
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(2)楽屋に娘の進路報告に行ったら「ほな、遊び過ぎで日本から“島流し”やね」と笑ってくれた
さんまさんはオーストラリアの東海岸に別荘を持っている。超人気芸能人にしてはこぢんまりした上品な別荘で、年末年始はこの別荘で芸人仲間や仲のいいスタッフたちと過ごすのが定番になっているのはご本人がテレビ…
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(1)「おう、さんまや」の電話をイタズラと勘違い 大物芸人の人懐こい性格にびっくり
あれは1992年ごろの日曜の午後2時だった。「世界まる見え!テレビ特捜部」の編集作業で土曜の朝から日曜の朝まで24時間編集作業をして、自宅マンションでぐったりと寝ている時だった。 まだ携帯電…