集中特別講座「裏側から日本史を語ろう」
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昭和へつながる「自由民権運動の土佐人脈」、教科書には書かれない人間関係
「板垣死すとも自由は死なず」という言葉を広めたとされる竹内綱という名前に思い当たる人はいるのではないでしょうか。竹内の子どもが、吉田茂なんです。 横浜に吉田健三という人がいました。吉田は英国商…
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板垣退助が遭難したテロの不可解さ…「板垣死すとも自由は死せず」の発言は本当か
国会開設や憲法制定を掲げる、板垣退助たちが始めた自由民権運動は、私擬憲法が作られ、暴動も起きるなど全国に広がり、明治政府は非常に警戒していました。 明治15(1882)年4月、板垣退助は28…
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二・二六事件を察知していた牧野伸顕の命を救ったのは外交官の吉田茂だった
天皇の側近だった牧野伸顕がテロに狙われた件を見ますと、明治11(1878)年に起きた牧野の父・大久保利通に対するテロは、昭和に起きたテロに対しても陰に陽に関係を持っていたと言えます。 この…
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あらゆるテロに狙われ、生き延びた「大久保利通の次男」の謎
明治11(1878)年にテロによって惨殺された大久保利通の次男に牧野伸顕という人物がいました。 牧野と名乗っているのは牧野家に養子に入っていたからです。牧野伸顕は優秀な人物で、大正時代から昭…
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不平士族と国粋主義者の反乱 明治のテロは大きく2つに分けられる
明治初期のテロについて話をしていきましょう。明治10年代から明治22年まではテロの時代でした。いろいろな形のテロがありましたが、大きく分けると2つです。 一つは不平士族(武士)のテロです。明…
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「平民新聞」は言論人を繋げていく受け皿になった
平民新聞にはこのような記事もありました。 早稲田中学の生徒3人が学校で、戦争はやるべきじゃない、日本は非戦論に傾くべきだと平民新聞の論調で演説したのですが、上級生や国家主義的な人たちから袋叩…
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A面の歴史には出てこない中江兆民の息子「中江丑吉」という傑物
実は中江兆民には中江丑吉という子どもがいました。 中江兆民は反政府の論を書いたために明治政府から東京には住むなと言われ、大阪に居を移します。そこで生まれたのが丑吉でした。 丑吉は東京…
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平民新聞に関わった歴史上の先達たち
平民新聞に寄稿したひとり、片山潜は日本の共産党運動のはしりの人で、先頭に立っていた時代があります。 片山は東洋経済新報社の記者でもありました。同社の記者だった石橋湛山(元総理大臣)は、東洋経…
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「非戦」の一点で平民新聞に集まった知識人たち
明治の時代、日本で初めて非戦の立場を掲げ、最後まで日露戦争の開戦論に反対した平民新聞は、政府に弾圧され、わずか2年で廃刊になりました。 私はこの講座ではA面ではなくB面の視点、社会面の視点で…
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平民新聞は「社会主義」ではなく、「社会正義」の新聞だった
平民新聞は女性の地位についても、驚くほど先鋭的な意見を書いています。 当時は男性が妻以外に外で女性を囲うことが当たり前でしたが、このようなことは女性の権利、女性の生き方を愚弄してるのではない…
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貧しさの実態を書き、訴えた「平民新聞」、宿をひっくり返したドヤのルポ記事も
明治35年の貧しい人たち、生活が成り立たないような人たちの数字も、平民新聞は行政のどこかからか入手して報じています。 たとえば東京市(現在の東京23区の一部)には超極貧層が1万2000人ほど…
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幸徳秋水たちは「平民新聞」で何を伝えようとしたのか、戦争と距離を置く姿勢も
私が平民新聞のデスクもしくは記者の視点でこの新聞を見ると、記事を載せる際に3つか4つの尺度を持って紙面を作ってきていたのだということがわかります。 1つは貧しい人たちの生活状況をきちんと書く…
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「平民新聞」にみるヒストリーという光、ヒズストーリーという影
弾圧されて廃刊するまでの1年半の間、「平民新聞」はどのようなニュースを報じていたのでしょうか。 私は「平民新聞」全64号には大体目を通しています。当時の新聞といえば「朝日新聞」や「読売新聞」…
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平民新聞は知識人が支え、知識層に相当な影響を与えた
当初は日露戦争に反対していた「萬朝報」ですが、世論全体の流れ、政府の弾圧もあって、社会の構造自体が日露戦争開戦論へと一気に傾斜していきました。その中で、反対論は弾圧されるわけです。 「萬朝報」…
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「影」の部分をきちんと押さえることで、歴史を見る目が重層化する
これから私がお話しするのは「平民新聞」についてです。日本に社会主義思想というものを初めて紹介したような言論人たちが作った新聞です。 「平民新聞」は明治36年11月15日に創刊され、結局38年1…
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天皇へのテロが天皇の神格化を進めたのです
これまで大正時代の3大テロリスト2人を紹介しましたが、最後は大正12(1923)年に起きた摂政宮狙撃事件の決行者、難波大助です。 難波についてはこれまで多くのことが語られています。彼は衆議院…
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「原敬首相暗殺」を実行した中岡艮一の謎と数奇な運命…釈放後、満州で消息不明に
原敬を襲った中岡艮一。その動機については今もいろんな説があります。議会政治の守護者として評価されている原ですが、彼に苛立つグループは3つに分かれていました。 1つは軍部。原は政治的妥協の人で…
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大正時代の「新しいテロ」とは? 朝日平吾がつづった斬奸状から見えるもの
大正時代のテロリズムには、3つの大きなものがありました。 安田財閥総帥・安田善次郎を短刀で殺害し、その場で自害した朝日平吾。原敬首相を刺殺した中岡艮一という鉄道職員。18歳くらいの青年でした…
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生の取材で分かった本物のテロリストの生きざま
五・一五事件に関わった人物は私に「みんなをテロリストと呼ぶのは乱暴だ」と言いました。そのうえで、「自分は本当のテロリストだと思うがね」と言い、こう語り始めたのです。 「テロリストというのは、事…
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歴史的な体験をした人には荒川土手で話を聞く お茶の間では語れない
昭和史研究の第一人者である保阪正康さんは、教科書や資料を読み込んで「歴史をわかった気になってはいけない」と言う。教科書に出てくるような“表の歴史”では決してわからない“裏の歴史”があるからだ。保阪さ…