板垣退助が遭難したテロの不可解さ…「板垣死すとも自由は死せず」の発言は本当か
国会開設や憲法制定を掲げる、板垣退助たちが始めた自由民権運動は、私擬憲法が作られ、暴動も起きるなど全国に広がり、明治政府は非常に警戒していました。
明治15(1882)年4月、板垣退助は28歳の小学校教師によるテロに遭う。
自由党党首として岐阜県に遊説に訪れた板…
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り1,388文字/全文1,528文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】