沢野ひとし「ラ・ラ・ラプソディー in 昭和」
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プリプリを横浜アリーナで聞いて涙…日本中がダイアモンドのように輝いていた
ガールズバンドといえば、プリンセスプリンセス(プリプリ)が日本の最高級のバンドといえよう。1989(昭和64、平成1)年「Diamonds<ダイアモンド>」がテレビに街に流れ出した。娘も男たちも踊る…
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「いい日旅立ち」を耳にすると日本の原風景が浮かび上がってくる
山口百恵の「いい日旅立ち」が街に流れていたとき、日本は一番幸せな時代だったかもしれない。 1978(昭和53)年国鉄のCMソングに使われ、多くの人を列車での旅にいざなった。山口百恵のいくらか…
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デヴィッド・ボウイを上回るジュリーの怪しい色気にその世界の男もメロメロ
1970年初めにはグループサウンズは終焉を迎えた。だが化粧にピアスをして、ジュリーこと沢田研二は変身してテレビに会場にオーラを漂わせ現れる。白いスーツにパナマ帽を斜めにかぶり、乳首が見えるような、ス…
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在来線の窓には街があり、季節がある…阿久悠の歌謡曲は惚れた女性に口にしたい言葉だらけ
手掛けた曲が5000曲。昭和歌謡曲の天才作詞家、阿久悠が亡くなって、早いもので今年で17年だ。2007年8月に70歳の若さで亡くなる。 「また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UF…
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宇多田ヒカルの声が徳之島の青い夏の空に消えていく…「First Love」は今も生き続けている
奄美群島の徳之島に娘が20代の頃に暮らしていた。妻と犬と私で訪ねたことがある。黒い犬だから名前は「クロ」である。 徳之島空港のタラップを降りて犬を引き取り、出口に向かうと、多くの人が迎えに来…
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渡辺美里「夏が来た!」を聞くと体中の細胞が動き出し元気になって来る
この数年、夏が年々暑く、早くなった感じを受ける。私が少年時代に千葉にいた頃は、夏至が近づくとやっと「もうすぐ夏だ」と、まだ水温の冷たい海を見つめていた。 高校時代の夏は海が遊び場であった。同…
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ボンクラ小僧が銀座で耳にした「夕月」にしばし立ち止まった
東京・銀座4丁目は日本の中心地である。1963(昭和38)年に角地に三愛ビル、「光の塔」がオープンした。銀座を照らして60年が過ぎていき、思い出多いビルは昨年春にリニューアルするために閉鎖された。3…
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「大阪で生まれた女」を聴くたびに…大阪で生まれていないくせに!おまえはなぜ泣くのだ。
歌は出だしが命だ。「踊り~疲れた」「ディスコの~帰り」。コードはG D Em G。 この気だるいブルース調のイントロが心をわし掴みにする。 70年代世相を表す「ディスコ」という歌詞と…
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オヤジたちが集まり「あの素晴らしい愛をもう一度」を大合唱
オヤジどもが生ギターを手にすると、やがて「3カポでいきますか」と言い、「あの素晴しい愛をもう一度」を必ずかきならし大合唱となる。弾き終わるとみんな満足そうに「本当にいい曲だね」「加藤和彦と北山修は天…
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「十九の春」は現地のうら若き娘さんが歌うとぐっと胸に刺さる
30代の頃にスキューバダイビングに夢中になっていて、沖縄本島を中心に南西諸島によく出かけていた。最南の与那国島や波照間島に行っては「南の島は最高」と能天気に遊びほうけていた。 石垣島で暮らす…
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「池林房」にはじまり、「五十鈴」「日本晴」まで…ドヤ街の雰囲気が残る新宿で「悪女」を熱唱
中島みゆきの「悪女」を不意に口ずさむことがある。「マリコの部屋へ~」とカントリー調、フォーク調というのか、すんなりした曲で歌詞が自然に出てくる。 しかし「悪女」の詞がよくわからない。 …
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メロディーが物悲しい藤山一郎の「長崎の鐘」を学校の帰りに合唱しながらよく歌っていた
小学生のとき、JR中央線東中野駅の近くに住んでいた。学校は早稲田通りを渡った、上高田の昭和小学校(現白桜小)であった。 学校の周りは明治・大正時代に、都心の下町から移転してきた寺院が固まって…
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えーっ!「また君に恋している」って同性愛の歌だったの? とりあえず今夜も「いいちこ」
「いいちこ」という大分の麦焼酎をよく飲んでいる。黄色いラベルに、下町のナポレオンの文字が粋であった。 ある日、いいちこのコマーシャルソングにビリー・バンバンの「また君に恋してる」が流れてきた。…
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観光バスの中で中国人が「北国の春」を大合唱 黄河沿いの道は延々と続くポプラ並木
15年前から中国大陸の面白さに目覚めてきた。2012年の激しい反日デモがあってからも、ひるむことなく物見遊山気分で、北京などに友人を誘い出かけていた。 次の年の春に「黄河流域の旅」という鄭州…
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横井久美子は「歌うことは生きること」を実践 チャーミングな笑顔に誰もが魅了された
この数年、親しい友人、編集者、昔からの山仲間、あるいは作家、画家の方々が次々といつの間にか亡くなっていく。これはおそらくコロナ感染の影響もあったはずである。私も背後からそっと、ヒタヒタと近づいてくる…
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満洲からの引き揚げ船に流れた「かえり船」…バタヤンの低い歌声にあちらこちらで嗚咽が
昭和の歌謡曲を聞くと、おじさんと言われる連中は、不意に涙が込み上げてくる。「歌謡曲」という言い方は昭和11(1936)年以後である。それまでは流行歌と一般的に呼ばれていた。どちらにせよ大衆的な歌曲で…
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山本潤子の透明な声に鳥肌が立つ…京都のやさぐれ天使はさめざめと泣いた
京都・岡崎のロームシアター京都(旧京都会館)に行ったのは、すでに四十数年前のことである。 その頃、奈良や京都に毎月のようにお寺の取材で通っていた。建築に興味を持っていたときで、寺院の柱や屋根…
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「サボテンの花」はお酒を飲んで聴くと危険…冬の景色が浮かび上がり泣きくずれたくなる
歌は出だしが肝心、財津和夫の「サボテンの花」を聴いたとき「ほんの小さな出来事に」のイントロで胸に突き刺さった。自分自身を振り返ってみると、恋が終わるときは、ささやかなことで別れてしまうものだ。だがこ…
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キスしようとしたら女の子が猛然と抗議…都会の夢を広げた「有楽町で逢いましょう」
フランク永井の「有楽町で逢いましょう」をよく耳にしたのは、東京・中野から千葉に引っ越しをした中学3年生の頃である。家から歩いてすぐに海が広がっていた。 辺りには松林が多く、いつも犬を連れて、…
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かまやつひろしの「ノー・ノー・ボーイ」が今もなお遠くから聞こえる
かまやつひろし(ムッシュかまやつ)に私は高校時代から憧れ、遠くで見つめていた。初めて生で見たのは東京オリンピンの1964年ごろの冬で、銀座ガスホールの地下ACB(アシベ)であった。回転するステージで…