「東京周辺 建築でめぐる ひとり美術館」土肥裕司著
「ひとり美術館」とは、ある特定の芸術家だけの作品を集めた美術館のこと。その芸術家の生きざまや、芸術家とその作品を愛し、支えた人々の思いが込められたひとり美術館は「空間そのものが芸術家の息づかい」に満ちている。その建物と空間が「作品を包み込む美の器」として存在するからだ。そんな、こだわりの「ひとり美術館」を紹介するガイドブック。
多くの美術館がある長野県には、世界的にも珍しい美術館密集エリアがある。
その「安曇野アートライン」と呼ばれる地域にある「碌山美術館」は、留学先でロダンに出合い、洋画家から転向して彫刻家になった荻原守衛(碌山は号)のひとり美術館。道ならぬ恋に苦しみながら制作をつづけ、30歳で病に倒れた碌山の思いに突き動かされた30万人もの人々からの寄付で建設されたという。碌山と同じくキリスト教徒だった今井兼次が設計した建物は、芸術家の信仰を尊重したロマネスク様式の教会をイメージしてつくられている。
「一様につくられたものでは物足りない」という今井が選んだ不揃いな瀬戸の焼き過ぎレンガが重厚な外観をつくり出し、四季折々の安曇野の自然の風景の中に溶け込む。また、建物に合うように制作されたドアノッカーなどのアイテムは、開館を喜んだ作家たちから寄贈されたものだという。
山梨県の久保田一竹美術館は、室町時代に栄え、その後衰退した「辻が花しぼり」を現代によみがえらせた染色家の作品とゆかりの品々を収蔵・展示する。
自ら最適の用地を探し出し、設計原案した美術館は、まずその入り口から圧倒される。インドの古城から移築したというその門をくぐると出迎えてくれるのは、琉球石灰岩の円柱がつくり出す回廊が印象的な新館で、これは作家が愛したガウディのイメージを形にしたものだという。作品が展示される本館は、樹齢1000年を超えるひばの大黒柱16本が支えるピラミッド型で、敷地全体に和と洋が融合した無国籍な世界をつくり出す。
その他、天然素材を大胆に使い、城壁のようにも見える藤森照信設計の「秋野不矩美術館」(静岡県)や、湖の畔に立ち、外観はシンプルな正方形の建物なのに、内部は33の円筒が詰め込まれ、壁がどこも曲線を描く「富弘美術館」(群馬県)など、関東・甲信・静岡の65館を網羅。
「ひとり美術館」は、その隅々にまで仕掛けが施され、作品と器が共鳴し合う貴重なアート空間体験を味わわせてくれる。それ自体を目的とした旅やドライブはもちろん、夏休みの旅先での立ち寄り候補としても最適のスポットになるだろう。(G.B. 1600円+税)