「リメンバリング オキナワ」岡本尚文編著 當間早志監修
「リメンバリング オキナワ」岡本尚文編著 當間早志監修
1950年代から1972年の復帰前後までの間、アメリカ人(一部日本人)によって撮影された占領下の沖縄の写真と、復帰50年を迎えた昨年に同位置から可能な限り同じフレーミングで撮影した写真を並べ、戦後の沖縄の暮らしや文化、風俗の変遷をたどる写真集。
冒頭で紹介されるのは、現在の那覇のメインストリート「国際通り」の名前の由来となった映画館「アーニーパイル国際劇場」(写真①)を1952年に撮影した写真。
未舗装の道路の突き当たりに国際劇場があり、その両脇に平屋の商店が並んでいる。道路に駐車している車は、風景とはアンバランスな大きなアメ車だ。
続く写真は、1953年のガーブ川と映画館「沖映本館」。ガーブ川は1960年代に暗渠化され、現在はその上が「沖映通り」となっている。
当時のガーブ川は、川沿いに屋台が軒を連ね、裏側から見ると川側に張り出した部分は、川床まで延びた細い柱で支えられている。その混沌とした屋台群の屋根越しに映画館「沖映」の看板が見える。
現在、映画館があった場所はホテルになり、車が行き交う通りは、日に照らされ、白く輝いている。
1954年、雨上がりのとある交差点を撮影した写真には、出来たばかりの3階建てのビルとその前に駐車したオープンカーが写っている。
68年後、同じ場所には巨大なショッピングセンター「パレットくもじ」がそびえ、その背後には沖縄都市モノレール「ゆいレール」が通っている。
見比べると、多くの写真で現在の風景に、かつての風景の片鱗さえ見つけるのは難しい。
かと思えば、その逆の印象をもたらす写真もある。
浮島通りとサンライズ那覇通りの交差点に今もある「丸國マーケット」の1950年代半ばの写真(表紙=当時は丸國デパート)は、木造2階建ての1階は洋品店の集まり、2階は遊技場となっていて、多くの人で賑わい活気がある。一方、鉄筋コンクリートに建て替えられた現在は営業しているテナントはわずかで、多くがシャッターを閉め、人影がない。
そのほか、沖縄戦で焼失して1958年に復元されたばかりの「守礼門」や戦後間もない1948~49年に撮影された「ひめゆりの塔」(写真②)などの遺跡や戦跡、1970年のコザ暴動や1968年の夏の甲子園でベスト4まで勝ち進んだ快挙を記念する「興南高校パレード」(写真③)、1965年に現職首相として初めて沖縄を訪問した佐藤栄作のパレードなど歴史の一場面も刻む。
印象的なのは、在日米海兵隊基地「キャンプ・フォスター」のゲートを撮影した新旧の写真だ。ゲートの門扉が強化されたり、守衛所の場所が異なる程度でそれほどの景観の変化はないのだが、同じ車線を走っている車の方向が正反対なのだ。
見開きの左右に並んだ過去と現在を見比べながら、沖縄の人々が過ごしてきた時の経過に思いをはせる。その間に風景は激変したけれども、基地問題をはじめ、さまざまな問題は何の解決もせず、日本は再び戦前の様相を呈している。
さらに70年後、写真の続きはどうなっていることだろう。
(トゥーヴァージンズ 1980円)