山口淑子 日本赤軍・重信房子に直撃インタビュー
放送は「出色のスクープ」と評判だった。日本赤軍は前年5月、テルアビブのロッド国際空港で銃乱射事件を起こし、重信はイスラエル当局から命を狙われていた。そんな相手に、山口らは2人だけで取材に臨んだのである。いつ事件に巻き込まれるかわからない、まさに死と隣り合わせの突撃取材だった。
「すでに山口さんはベトナムを1度、パレスチナを2度訪れていた。司会者自ら危険な現場に突入していく命がけのリポートは、番組の一番の売りになっていました」(元番組関係者)
58年、山口は外交官の大鷹弘氏と2度目の結婚。女優業を引退し、専業主婦に徹していたが、11年後、司会の声がかかると、いきなり戦地を飛び回ることになった。
「戦火に追われる人々のことを考えると、居ても立ってもいられないと山口さんは言っていた。戦乱の中国を生きてきた彼女ならではの言葉だと思います」(同)
山口は戦前、満州と日本をまたがり、李香蘭の名で女優兼歌手として活躍した。彼女が日本人だと知っていたのはごく限られた人たちだけ。終戦後、山口は中国で裁判にかけられる。祖国中国を裏切った罪である。ぎりぎりになって日本の戸籍が届けられ、中国人でないことが証明されて何とか死刑を免れた。