<第1回>姉と比較され「存在そのものが失敗」と言われた幼少期
そんな私をフォークソングが救ってくれたと言いたいのではありません。誤解を恐れずにいえば、世の中で一番不幸だと思っていた私よりも、さらに下があるということを知ってしまったのです。
1960年代の香港には、大飢饉や文化大革命の内乱で、たくさんの人々が本土から入境していました。私のように3日ぐらいお風呂に入らないなんて当たり前、着ている服は汚れて破れ、ボロ板で囲っただけの掘っ立て小屋で雨とホコリにまみれて、その日の食事にありつけるかもわからない人たちが目の前にいたんです。
両親のいない孤児が生ごみをあさり、目が見えなかったり、足がなくて地面を這うしかなかったり。ミッション系の学校ということで、ボランティアをしたんですが、そこでクラブの仲間たちと歌って、いただいた食べ物などを持っていったら、喜んでもらえた。こんな私でも役に立てることがあるんだって、ただもうそれだけでうれしくて……。それでまた歌い、布団の綿を集めて作ったチャンチャンコを持っていくようにしたんです。学校でのチャリティーコンサートが定期的に開かれるようになり、そこでスカウトしてもらったのが今の仕事につながるスタート。私は14歳でした。