<第1回>談志は晩年「俺はとんでもないものを作った」と
先代三平が存命中から海老名家と日本テレビは関係が深く、今も太いパイプがある。母親の香葉子氏が三平の行く末を案じて、「息子をよろしく」と運動したのは想像がつく。真偽のほどは分からないが、そういう疑いを持たせるのが海老名家の不徳であり、三平の至らなさである。
ただ、一人くらいミソッカスがいても番組の人気は衰えない。三平が「マザコンのお坊ちゃん」キャラを前面に出せば、他のメンバーが突っ込んで笑いを取ってくれるからで、チームワークは万全なのだ。
「笑点」の生みの親である立川談志に、立川流顧問として長年仕えた私は、師匠からいろいろと話を聞いている。談志は晩年、「俺はとんでもないものを作ってしまったのかも知れないな」と言っていた。まるでモンスターを製造した科学者みたいに。現在の大喜利は談志が考えた大喜利とはまるで違う質のものだからだ。