8歳で来日したサヘル・ローズさん 母と日本で極貧の日々も
■台所の流しで母に体を洗ってもらった
引き取られてからの生活は楽ではありませんでした。私が孤児だからと親戚から冷たくされ、家族がお母さんに会ってくれなくて仕送りはゼロになって、誰も助けてくれなかった。お母さんが家庭教師をしてやっと暮らしていました。
でも、孤児院と違って一般の家庭だから、大好きなジャムとパンが食べられるし、ココアが飲めました。施設はすべて許可制。冷蔵庫の中の食料を勝手に食べてはダメでした。トイレだって許可制。「トイレに行っていいですか」と断ってから行く。ある時、おもらししたら「どうしてトイレに行かないの?」ってお母さんに驚かれた。「だって許可してもらってないから」なんていうこともありました。
93年に日本で義父を頼ってお母さんと来日しましたが、結局、離婚して貧乏なのは変わりませんでした。公園で野宿したこともあります。夕飯は近所のスーパーの試食コーナーで済ませて。お風呂とトイレのない部屋に住んでいたこともあります。台所の流しでお母さんに体を洗ってもらって、公衆トイレを使って。そんな体験は今では宝物ですけどね。港区に住んでいた時は周りはお金持ちの子ばかり。私の家にはテレビもないから、友達のテレビ番組の話に入っていけない。みんなは漫画雑誌の「なかよし」や「ちゃお」を買ってもらっていたので、私は古本屋で一生懸命読んで話を合わせようとしました。