映画監督・安藤桃子さん 高知は魂の故郷、今という点を精いっぱい生ききる
安藤桃子さん(映画監督/39歳)
奥田瑛二・安藤和津夫妻の長女で映画監督の安藤桃子さん。小説「0.5ミリ」と同名の長編映画(2014年)で数々の映画賞を受賞し、映画のロケ地だった高知に移住し幅広く活動している。マルチな安藤監督はこれからどんなことをやっていきたいのか。
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「原作を書き、映画化した『0.5ミリ』のきっかけになったのは8年間の祖母の介護でした。祖母をみとることを経験して、人が生まれてきて死ぬという、一番根本的なテーマと向き合うことができました。なので、死ぬまでにやりたいことイコール生きる目的となりました。それは、生きとし生けるすべての命が幸せな世界へ向かっていくのを表現していくこと。そして自分が生きている間に、そんな愛に満ちた本来の地球の姿を目撃したいと願っています」
1982年、東京都生まれ。高校からイギリスに留学してロンドン大芸術学部を卒業。10年「カケラ」で監督・脚本デビュー。妹は「0.5ミリ」で主演した安藤サクラ。「ロケ地の高知には3秒で移住を決断した」。新刊「ぜんぶ 愛。」では両親のことや高知での生活などを痛快につづっている。
「映画監督としては撮りたいものが常にたくさんあって、小規模な作品であってもどちらかというと撮らせてもらえるかどうか? という感覚です。最終的に作品が観客の元に届くか、公開に至るかがとても大切。昨今、予算がわずかでもクオリティーの高いものが作れるようになったけど、映画には映画たる方程式があって、劇場公開されるかどうかはまた別だと思います。何百本生まれても、全国ロードショーされる作品ってとても少ないんです」
「『ぜんぶ 愛。』はエッセーですが、読まれた方が『短編映画みたいでした』と言ってくれて。それがとってもうれしかった。映画脳で執筆しているからかな。コロナ禍の中で、本で映画体験をお届けしたいという意識はありました」
異業種チーム「わっしょい!」で味噌づくり
14年に結婚、女児を出産、18年に離婚後はシングルマザーとして子育てをしながら、移住した高知でミニシアター「キネマM」の代表を務め、映画館も運営している。
「高知で映画館を立ち上げました。キネマMは今リニューアル中ですが、映画文化を中心に、街の人たちが日常の中で、心の栄養を養ってつながっていける環境をつくれたら。文化の渦を巻き起こしたいと、19年には文化フェスのイベントもやったり」
「移住してから“すべての子どもたちが笑顔の未来”を願う異業種チーム、『わっしょい!』も立ち上げました。命の根幹である“食”をテーマに、子どもたちと一緒に味噌づくりをして、その大豆から育てよう! と、畑も始めました。我が家でも春になると味噌を仕込んでいます。これらはどれも点ではなく、全部がつながっているウエーブのようなものなんです」
■ジイジ奥田瑛二と6歳の娘
まだ30代の安藤監督は父の奥田瑛二さん、6歳になる娘に挟まれた真ん中の世代。将来を考える上で世代間の隔たり、ギャップも大いに気になるところでは。
「父の世代は、頑張ることがスタンダード。耐えて、歯を食いしばってやり切るという、根性論があります。でも、今の20代を見ていると頑張らないという世代。もっといえば、小学生で1000万円稼ぐ子どもがいる時代です。タブレットで好きなお絵描きをしてネットに上げたら、世界中の人が買ってくれて1日に何十万円も売れるとか。そんな職種は今までになかった。感覚が違う人たちが一緒に生きていて、どっちが良いとか悪いとかでもない。頑張った時代があるからこそ、今の時代がある。力を抜いた方がアイデアも浮かびやすいですし、これからはもっと世の中はナチュラルに、リラックスして力を抜く方向に動いていく気がする。真ん中の世代の私たちは、各世代の意識の違いをつなげていく役割なのかな。ジイジやバアバと孫が仲良くする姿を見ていると、結局“愛”がすべてを調和させていくんだと感じます」
高知にはずっと住み続けるのだろうか。
■高知は魂の故郷 心が帰ってくる場所
「よく高知に骨をうずめるのかと聞かれますが、ここは私の魂の故郷で、心が帰ってくる場所だと強く思います。いつか映画を海外で撮るとなると、数年間は留守にする可能性もありますけど、今そんなことを考えても仕方がない! 今という点を精いっぱい生ききることをいつも意識しています。人生ってもしかしたらサーフィンのようなもので、軸はボードの中心から動かず、海の状態を見ながらチャンスという波に乗る。そのために常に準備万端。瞬時に判断できるように日々を輝かせて過ごしたいです」
(聞き手=峯田淳/日刊ゲンダイ)