石原裕次郎
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石原裕次郎(13)慶応病院に入院…同乗したエレベーターを降りる際に掛けられた言葉
裕次郎さんとは「オレのと同じ腕時計だね」ではじまり「甲板でサインを懇願」「ハワイの5億円別荘独占取材」「湘南ラストセーリング」など、楽しい思い出がいっぱい。そんな昭和のスーパースターとの“お別れ”のときが近づくのである。体調を崩した...
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石原裕次郎(12)1986年10月3日…湘南の海を疾走する“太陽の男”最期のセーリング
諸磯桟橋の前に止まったキャデラックから降りてきたのは黒い野球帽をかぶった裕次郎さんであった。ブルージーンズにオレンジ色のTシャツ、茶系の薄いサングラス、デッキシューズのセーリングスタイルで「湘南魔火矢」に乗り込むと、5人のクルーを率...
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石原裕次郎(11)沙也加さん誕生の「祝福」談話を求め電話攻勢…渡哲也さんがビッグニュースをくれた
1986年10月1日、裕次郎さん夫婦と渡哲也さん夫婦のダブル仲人で結婚した、神田正輝・松田聖子夫妻に待望の第1子が誕生した。赤ちゃんは、2021年12月18日に35歳の若さで非業の死を遂げた女優・歌手の神田沙也加さんである。 ...
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石原裕次郎(10)ノーアポ訪問にも「よく来たね」と。まき子夫人の生ジュースに深い愛情を見た
ペニシリンが効いて1985年12月28日(ハワイ時間)の朝には熱が下がり、軽く朝食も取れた。風邪だったようだ。私はレンタカーでダイヤモンドヘッドの裏側にあるカハラ地区のプール付きの石原邸を訪ねた。「スポニチの中野です」。インターホン...
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石原裕次郎(9)ハワイの5億円別荘に突撃取材…旅費捻出で苦労、現地着早々に高熱でダウン
映画興行の失敗で8億円の負債を抱えていた石原プロは「大都会」と「西部警察」の制作収入と「太陽にほえろ!」(全718回)の裕次郎さんの出演料、そして社長自らが推進した財テク計画で経営は好転。1985年ごろには備蓄が推定100億円と順風...
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石原裕次郎(8)一度だけサインをねだると…「飲み屋のツケをだいぶ貯めたんだな?」と
私は一度だけ裕次郎さんにサインをねだったことがある。1984年8月の昼ごろ「西部警察Ⅲ」の最終回ロケが博多湾の沖合で行われ、取材陣はクルーザー船首付近の甲板でお昼の弁当を広げていた。すると「オレも邪魔するよ」といって、裕次郎さんも幕...
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石原裕次郎(7)「太陽にほえろ!」の劇中で愛用したロレックスGMTマスターを巡る奇縁
「その腕時計、オレのと同じだね?」 1982年2月、裕次郎さんは調布の石原プロから出発した「西部警察Ⅱ」のキャラバンロケ隊を見送った。まだリハビリ中だったボスこと木暮捜査課長は後から撮影に参加する手はずである。裕次郎さんが見送...
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石原裕次郎(6)肉声スクープ求めあの手この手「ワイドショーの戦いは生き馬の目を抜くようだね」
1981年6月21日の朝、信濃町の慶応病院前は報道陣約200人で埋まった。本館屋上からパジャマ姿の裕次郎さんとまき子夫人、渡哲也さんが現れると(写真)、テレビ局のニュースヘリが爆音を上げて頭上に接近、そして本館左側の道路にはリポータ...
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石原裕次郎(5)“慶応病院屋上”スクープ撮はフライング…石原プロには伝えていなかった
♪母は来ました……。慶応病院の裕次郎さんの病室窓から撮影した写真には私がコマサ(小林正彦専務)に託した「岸壁の母」の歌詞をあおむけに見ながら裕次郎さんが歌っている姿が映っていた。窓を10センチ開けてくれたコマサのリップサービスは「入...
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石原裕次郎(3)「幸運のあとに必ず不運が…」石原プロの番頭コマサの憂慮が現実に…
胸部疾患でほぼ1年を棒に振った裕次郎さんは翌年の1972年6月公開の「影狩り」でカムバックした。さいとう・たかをの劇画を映画化、むろん石原プロの製作である。28歳で芸能記者になった私はラジオ・テレビ担当記者だったため、映画の番記者か...
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石原裕次郎(2)大手映画会社の“独立プロ潰し”で破産危機…「テレビを軸に会社を立て直すよ」
テレビドラマの台頭で映画産業の斜陽がはじまると、裕次郎さんは1963年1月に独立プロ「石原プロモーション」を港区虎ノ門に設立(73年に調布市に移転)。日活映画から番頭のコマサ(小林正彦専務)ら親衛隊8人を引き連れ「一発入魂大作主義」...
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石原裕次郎(1)映画「狂った果実」秘話…悪筆の兄・慎太郎の台本を徹夜で代筆してやっと完成
昭和のスターたちは豪快で華麗で、ハチャメチャだった。学歴なんかなくても向上心、努力、知恵の3つがあれば総理大臣にだってなれた昭和。私は長嶋茂雄さん(読売ジャイアンツ終身名誉監督)を車に乗せてハイライトを一緒に吸い、スーパースター石原...
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香川照之に続きENEOS会長までクラブでご乱行…彼らの失敗の本質はどこにあるのか
ノンフィクション作家の佐野眞一が亡くなった。享年75。佐野が週刊朝日で橋下徹大阪市長(当時)のルーツに触れ、批判を浴び、作家生命を絶たれようとしていた。そんな時、彼に、「今こそノンフィクションとは何かを問え」と言って、「ノンフィクシ...
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山本晋也監督が石原慎太郎氏を追悼 いま明かす歌舞伎町“風俗体験”秘話
「あんたにどうしても聞きたいことがあってね」 故・石原慎太郎氏が運輸大臣に就任した1987年、記念式典に呼ばれた映画監督の山本晋也氏は会場に向かうと石原氏から「いや忙しいところ申し訳ない」と頭を下げられ、こう言われたそうだ。 ...
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渡哲也さんと裕次郎さん“幻のCM”裏に宝酒造と石原プロの絆
渡哲也さんと石原裕次郎さんが“幻の共演”をしている宝酒造「松竹梅」のテレビCMは、まだしばらく放送されることになったが、その映像・音声の合成は見事なものだ。使われているのは、渡の部分はおととしの放送、裕次郎は45年前だという。寺の縁...
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渡哲也さん気遣いの原点 若手のキムタクを「木村さん」と
肺炎のため10日に亡くなった俳優の渡哲也さん(享年78)。14日の石原プロによる発表から週が明けても、故人を悼む関係者からのコメントがやむことがない。そこで異口同音に語られるのは、渡さんの誠実で紳士的な人柄だ。 渡さんの「気...
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不世出の名優渡哲也さん 最期まで貫いた昭和ダンディズム
「人生なるようにしか、なりませんから」 病魔との闘いの連続だった故渡哲也さん(享年78)は、そう達観したような人生訓を語った後、こう続けていた。 「呪っても、恨んでも始まらない。地味にならず、なまぐさく、若い女の子にちょ...
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渡哲也×裕次郎 “鉄の結束”逸話「肉体関係のないホモ集団」
故石原裕次郎(1987年没・享年52)を中心に“鉄の結束”を誇った石原プロモーション。特に裕次郎さんと渡哲也さんの関係は特別なものだった。伝説のドラマ「西部警察」が大ヒットしていた頃(1982年)、2泊3日の地方ロケに同行取材した元...