山本晋也監督が石原慎太郎氏を追悼 いま明かす歌舞伎町“風俗体験”秘話
「あんたにどうしても聞きたいことがあってね」
故・石原慎太郎氏が運輸大臣に就任した1987年、記念式典に呼ばれた映画監督の山本晋也氏は会場に向かうと石原氏から「いや忙しいところ申し訳ない」と頭を下げられ、こう言われたそうだ。
「歌舞伎町に棺桶みたいな箱に女と一緒に入る店があったろう」
歌舞伎町が百花繚乱のネオン街で、ありとあらゆる風俗店が林立、ひしめいていた頃のこと。テレ朝系の夜のワイドショー「トゥナイト」で風俗リポートをしていた山本カントクが「ええ、ありましたよ。『占いの館』というやつですね」と応じると、胸のつかえが取れたように笑い、こう続けたという。
「そうだそうだ、そういう店だった」
都知事になるや東洋一の不夜城の浄化作戦を敢行した石原氏だったが、風俗にも精通していたようで、ははぁ、これはイロイロ経験があるな、そう思った山本カントクが話を続けようとすると秘書官とみられる男性が割って入り、「では失敬」と足早に去ってしまったそうだ。
弟の裕次郎の銀幕デビューを後押し
山本カントクは文化とまでは認められてはいないが庶民に親しまれ、そこに存在している風俗や芸能への温かい目線、理解を感じたと日刊ゲンダイ記者にこう振り返る。
「石原さんの小説『太陽の季節』に、障子を勃起したペニスで突き破る場面があるのを思い出しました。(山本カントクが)日大の応援団だった頃、合宿先で、先輩に命じられ、実際にそれを試みたこともあった。どんなに硬く勃起していても突き破るのは難しい。指先に唾をつけて、それで障子を湿らせておくのがコツ。分からないように、ちょっと穴を開けておくんです」
石原慎太郎氏が「太陽の季節」を月刊誌「文学界」に発表、芥川賞を受賞し、太陽族が大流行し日活が映画化を決めるや、弟の裕次郎を推して、銀幕デビューさせたのは有名な話だ。
「大学のボクシング部の部員という端役にもかかわらず、端正なルックスにすらりとした長身で一躍脚光を浴びた。慎太郎氏が原案と脚本を担当した映画『狂った果実』で裕次郎さんが主演、スターへの階段を上がっていったのは、慎太郎氏の芸能的手腕、プロデュースによるものでした。ヨットにボクシングに酒、たばこ、マージャン、喧嘩。そうした若者の群像のただ中に慎太郎氏も身を置いていたからこその作品だったのは想像に難くありませんね」(古参の芸能プロ幹部)
今ごろ天国で裕次郎とグラスを交わしていることだろう。