「マエケン物語」 両親が明かすルーツ
-
<20>「全然走ってないやん!」と並走した母の特訓
「どうしたら野球がうまくなりますか?」 前田の母・幸代(51)は岸和田イーグレッツのコーチにこうたずねた。 前田が小学3年のときのこと。試合で本塁打を打ったが、投手として点数を取られた…
-
<19>野球ができない1カ月間はノイローゼ状態だった
前田は小学3年のとき、親友の仲谷龍二ら4人で地元のチームを離れ、岸和田イーグレッツに移籍した。 幸代と仲谷の母は一緒にチームを回って情報収集し、最終的には前田たちが決めた。全国大会を目標に掲…
-
<18>健太は38度の高熱を押してイチローを見に行った
サッカーに夢中だった前田は、親友の仲谷龍二(27)に誘われて野球を始めた。小学2年のときだった。 仲谷が在籍していた地元のリトルのチームに入団。小学1年でヴェルディ川崎(当時)のファンになり…
-
<17>野球の世界へと導いてくれた“親友の一言”
「あれだけサッカーに夢中だったのに、いきなり『野球をやる』『チームも決めた』って言うんですから、ビックリしました」 母・幸代(51)にとって、前田が野球を始めたのは意外だった。 幼稚園…
-
<16>野球嫌いの健太がある日突然「やりたい」と言い出した
前田には、幼なじみで無二の親友がいる。仲谷龍二(27)である。 生まれる前から2人はつながっていた。前田の母・幸代(51)と仲谷の母は勤め先の同僚で、仲が良かった。家も近所で、家族ぐるみの付…
-
<15>父・茂治は中学卒業と同時に水道配管工として働いた
前田の父・治茂(52)は、中学卒業後に就職した。女手ひとつで育ててくれた母の負担を、少しでも減らしたいと考えたのだ。 中学3年のとき、治茂の母・年子(82)を伴っての進路相談で、担任の先生か…
-
<14>父・茂治は中学時代1カ月で1万8000円稼いだ
トラック運転手の前田の父・治茂(52)は、仕事中の事故で九死に一生を得た。医師から半身不随の可能性を告げられながらも、驚異的な回復力で仕事に復帰した。それを可能にしたのは、治茂が幼少期からタフな人生…
-
<13>大ケガに打ち勝った父の強い心と体
「何とかなるわ、という気持ちしかなかった。そういう性格が良かったんでしょう」 こう語る前田の父・治茂(52)は名古屋での仕事中に鉄パイプの束が背中に直撃し、脊髄損傷、第5腰椎骨折の大ケガを負っ…
-
<12>父は医師から「半身不随を覚悟してください」と告げられた
その瞬間、前田の父・治茂(52)は背中に衝撃が走った。 トラック運転手の仕事で荷下ろしをしているときに、クレーンで吊った鉄パイプの束が崩れて落下。治茂の背中を直撃したのだ。すぐさま、救急車で…
-
<11>1トンの鉄パイプの束が父親の背中を直撃した
前田の父・治茂(52)と母・幸代(51)が27歳のときのことである。 91年11月のある土曜の朝、幸代は部屋で掃除機をかけていた。トラック運転手の治茂は夜中に仕事に出た。3歳になった前田は、…
-
<10>何度も道路の溝や田んぼへ 自転車は10台乗りつぶした
「また壊したんか……」 前田の父・治茂(52)が苦笑いを浮かべた。 1歳のころから仮面ライダーごっこをし、跳びはねて遊んだ前田は、2歳からプールと体操を習い始めた。ぷくぷく太った赤ん坊…
-
<9>前歯が折れてもひじが折れても跳び回った
「救急病院に何度連れていったことか……」 前田の母・幸代(51)はこう言って、苦笑いを浮かべる。 小さいころ、水が顔にかかると泣きわめいた。2歳3カ月で水泳を習い始めて水への恐怖心を克…
-
<8>2歳3カ月「プール号泣事件」の顛末
「た・す・け・てー!!」 教室中に響きわたる大きな声で前田は泣きわめいた。2歳3カ月のときだった。 前田は生まれてからよく泣きよく食べ、すくすくと育っていく。しかし、父・治茂(52)と…
-
<7>0歳のときからミルクを一気飲みした
健太と名付けられた3360グラムの男の子の成長は、一般的な乳幼児よりも早かった。 父・治茂(52)と母・幸代(51)は、前田が予定日より2週間早く生まれたことで心配したけれど、0歳のときから…
-
<6>「健太」命名秘話
「名前は健太がいいと思う」 前田の母・幸代(51)は、父・治茂(52)にこう語りかけた。 1988年4月11日。3360グラムの男の子が誕生した。2人と同じ辰年。「健太」と命名した。 …
-
<5>健太が生まれた時は右手だけバンザイして出てきた
「あら。この子、片手を上げて出てきたわ」 前田の母・幸代(51)は、助産師がこう言ったのを覚えている。 88年4月11日、前田は、大阪府和泉市にある府中病院で予定より2週間ほど早く生ま…
-
<4>志半ばで世を去った祖父と女手ひとつで育てた祖母
「こりゃ、えらい大きいなぁ……」 1986(昭和61)年10月に結婚式を挙げた前田の父・治茂(52)と母・幸代(51)は、新生活が始まると、大きなテーブルと格闘した。 「結納金、嫁入り道…
-
<3>母方のいとこは全員身長が180センチ以上
前田の母・幸代(51)は、1964(昭和39)年、大阪府堺市で3人姉弟の次女として生まれた。 幸代の祖父は、織物工場を立ち上げ、田畑も所有していた。父・久一(81)は7人きょうだいの長男で、…
-
<2>父母をつないだ大阪岸和田の「だんじり祭り」
「俺に一目惚れしたんや」と言う前田の父・治茂(52)に、母・幸代(51)はかぶりを振って「私と違う。あんたや」と笑う。 仲むつまじい2人は1986(昭和61)年10月26日、岸和田市内で結婚式…
-
<1>祖父から3代にわたって紡いだ男たちの夢
現在、トラックの運転手をしている前田健太の父・治茂(52)は、1964(昭和39)年3月18日、大阪府岸和田市中井町で生まれた。周囲は当時、見渡す限りの田畑が広がり、高い建物といえば団地があるくらい…