「(来季の去就は)マコト以外は全員白紙や!」星野監督が全員の前で放った言葉を意気に感じた
星野仙一監督就任1年目の2002年。僕は野球人生をかけたオープン戦初打席でサヨナラ打を放った流れをそのままに、開幕後はレギュラーとして打率.317、15本塁打、56打点の成績を残した。
ただ、シーズン中盤まで首位争いをしていたチームは失速。空気が緩んでいた9月、星野監督が東京の宿舎ホテルに選手、コーチ、職員を全員緊急招集し、こう言ったのだ。
「おまえら来年もここにおられると思ったら大間違いやぞ! マコト以外は全員白紙や!」
自分の名前が出て意気に感じた。そこまで言ってくれるなら、来年は首位打者くらい取ってやろう──。星野監督はメディアには「チーム内に蔓延した“負け癖”というウイルスを一掃するのは並大抵のことではない」とコメントしていた。結局、02年は開幕7連勝を飾りながら、その後はケガ人が続出し、チームに体力がなかったことで4位に終わった。星野監督の宣言通り、球団はこの年のオフ、自由契約だけで18人、トレード、引退組を合わせると計24人、チーム全体の3分の1以上の選手を入れ替えるという過去に例のない大量リストラを敢行。入れ替わりで、金本知憲さんをFA補強し、伊良部秀輝さん、下柳剛さん、野口寿浩さんらを獲得した。