倉本聰 ドラマへの遺言
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バブルや世間の動きに左右されず暮らしていたのが良かった
1981年に始まった「北の国から」は、以後約20年にわたってスペシャルドラマとして放送され、「北の国から2002遺言」で幕を閉じた。 碓井 最後に黒板五郎(田中邦衛)は純(吉岡秀隆=写真㊨)と…
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「北の国から1900」黒板家のルーツを探る物語を考えていた
碓井 シリーズのラストは「北の国から2002遺言」。ご自身が幕引きを決めたんですか。 倉本 いや。僕はもっと続ける気だった。 碓井 そうですよね。僕も50歳の純を見てみたかったです。 …
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地方に住む人間が東京と同列に立たないと文化が廃れていく
碓井 「北の国から」のスペシャルシリーズの時は、1本終わるとすぐ次の準備に取りかかったんですか。 倉本 いや、空白がありましたね。空白があったけど、やっぱり2、3年休んでると、その間に次のモチー…
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横山めぐみは見た途端にこれだと 逆に宮沢りえは反対した
1981年から2002年まで続いた「北の国から」には、魅力的なヒロインが何人も登場した。倉本ドラマの女優論とは。 碓井 「北の国から」の楽しみ方のひとつとして、女性陣がいずれもすてきなんですよ…
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学歴とか偏差値とか都会で競ってる知識は役に立たない
70年代半ば、倉本氏は北島三郎の人気の秘密を探るべく、付き人として地方公演に同行した。 倉本 会場は体育館で楽屋も舞台もない。20人ほどのバンドメンバーも皆凍りついてましたが、サブちゃんのとこ…
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純は地元の人間 1日いくら稼げるかっていうギリギリの生活
2002年まで続いた「北の国から」のスペシャル版には宮沢りえや内田有紀ら、のちに人気女優として活躍する面々が登場し、花を添えた。 碓井 毎回、魅力的なヒロインが登場しました。純はまるで必然みた…
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北海道の女は強い、だから蛍を駆け落ちで妊娠させたんです
碓井 「北の国から」は81年に連ドラが始まり、そのあとスペシャルとして20年以上も続きました。書き進める中で、もともとの構想から変わったりはしなかったんですか。 倉本 僕の中で大きく変わることは…
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「北の国から」 純は“杉田死ね!倉本死ね!”と台本の裏に
「北の国から」(1981~2002年)の撮影現場では、倉本氏が純(吉岡秀隆)や蛍(中嶋朋子)に石運びや、たき火を実際にやらせていた。 碓井 特に都会の子供たちは直接火を使うことって、ほとんどない…
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純と蛍には甘やかさず「本当に石の山を運ばせろ」と言った
碓井 「北の国から」の撮影が始まったのは放送の前年、1980年の夏からでした。 倉本 ええ。しかも最初はフィルムで撮ろうとしてたんです。 碓井 確かにあの頃はまだフィルム番組も残っていまし…
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誰も知らないフジテレビ…宿もタクシーもツケがきかない
「北の国から」(1981~2002年)の制作が開始されるが、富良野の山あいにあるロケ地は電波事情が悪く、肝心のフジテレビの番組を見ることができなかった。 碓井 誰も知らないフジテレビがドラマを作…
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北海道に来た移民たちの屍の栄養を吸ってるんじゃないか
「北の国から」(フジテレビ系、81~02年)を書き始める2~3年前、暇を持て余していた倉本氏は富良野の原野を歩き回った。そこで目にしたものが物語の核となっていく。 倉本 農家の廃屋がやたらと目に…
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フジテレビの「北海道民はどうでもいい」に怒り心頭し…
1980年代。倉本氏が取り組んだのは、田中邦衛主演の「北の国から」だった。 碓井 「北の国から」の放送が始まったのは1981年の秋でした。最初、フジテレビからはどんなオファーがあったんですか。…
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岩城滉一から見るとショーケンは「不良のフリしてるだけ」
「あにき」(77年、TBS系)では高倉健に加え、もうひとり、生きのいい不良少年が出演した。 倉本 「前略おふくろ様」(75~77年、日本テレビ系)の第2シリーズの14話で安藤昇さんに出演していた…
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海外へ行くと言ったら健さんが首から14金のペンダントを…
下町で暮らす鳶の組頭の兄。病気で婚期を逃した妹。2人と周りの人々の触れ合いを描いた作品が「あにき」(77年、TBS系)だ。主人公を演じたのは高倉健だった。 碓井 高倉健さんが連続ドラマに出演し…
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石原プロ制作「大都会」は“人間描くアクションならいい”と
石原裕次郎率いる石原プロモーション制作の刑事ドラマ「大都会 闘いの日々」(76~79年、日本テレビ系)に携わった倉本氏。事務所を束ね、昭和を代表する売れっ子俳優に対しどんな思いを抱いていたのか。 …
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“前略”のナレーションは山下清の語りをベースにした
萩原健一が演じる山形出身の無口な板前、片島三郎の心の中の声で語られるナレーションが大きな特徴だった「前略おふくろ様」(75~77年、日本テレビ系)。そのナレーションには、倉本氏ならではのメッセージが…
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ショーケン「前略おふくろ様」でお山の大将から角刈りに
碓井 「6羽のかもめ」(74~75年、フジテレビ系)が終わってから「あなただけ今晩は」(75年、同)を挟んで、「前略おふくろ様」(75~77年、日本テレビ系)です。この時はどういう経緯だったんですか。…
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中条静夫が演じる制作部長は納会に愛人を連れてきた元上司
テレビ業界や芸能界の内幕をズバリと書いたフジテレビ系ドラマ「6羽のかもめ」(74~75年)には、倉本氏の体験も随所に盛り込まれていた。 倉本 当時のフジテレビの重役、僕がニッポン放送にいた頃は…
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僕にとってテレビは惚れた女…誰が彼女を堕落させたのか
碓井 フジテレビから突然の依頼で書き出した「6羽のかもめ」(74~75年)は、劇団の分裂劇がベースになっていました。マネジャー役の加東大介さんが他の役者たちと一緒に劇団を飛び出すんですが、何よりテレビ…
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「脚本家・倉本聰」ではなく渡の女房の石川俊子にしたら…
制作サイドと見解の相違による喧嘩、のちに肺炎をこじらせて入院。自身初のNHK大河「勝海舟」(74年)を途中降板した倉本氏に突然、新たな作品のオファーが舞い込んだ。 碓井 東京の病院を退院して札…