日産ゴーン 腐食の原点
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暴発した内部告発 CEOは“自己保身”のために独裁者を切った
日産自動車のカルロス・ゴーン独裁は、自身の逮捕であっけなく「崩壊」した。21日、ゴーンは特別背任の疑いで東京地検特捜部に再逮捕された。再逮捕がなければ、保釈の可能性があっただけに、日産の西川広人社長…
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社内に飛び交った報酬問題 志賀COOを切り捨てた真の理由
「日産GT2012」はリーマン・ショックを受けて「一時中断」されたが、二度と再開されることはなかった。新たな成長計画として打ち出したのが「日産パワー88」だ。「88」は世界市場シェア8%、営業利益率8…
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幻と消えたGM“CEO”の椅子…米政府はゴーン手腕を評価せず
「カルロス・ゴーンが自ら日産自動車を離れるとしたら、あのタイミングしかなかった」と、グローバル自動車メーカーの動向に詳しい経済シンクタンク研究員は振り返る。それはリーマン・ショックの直撃を受けた世界規…
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リーマン・ショックで9年ぶり大赤字に リストラのツケ噴出
「あの事件がなかったら、ゴーンの退場は5年早かったかもしれない」と日産自動車の内情に詳しい経済ジャーナリストは打ち明ける。2008年9月、米大手投資銀行リーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻…
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コミットメント経営が崩壊でも居座り続けたゴーンの厚顔
2007年4月、日産自動車の決算会見でカルロス・ゴーンは「日産バリューアップでの全てのコミットメント達成時期を1年間延長する」と一方的に宣言した。にもかかわらずゴーンは自らの失敗を認めない。それどこ…
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迷走始まる…「バリューアップ達成は不可能」が社内に蔓延
日産自動車は2005年4月、新中期経営計画「日産バリューアップ」に乗りだす。そこには「08年度に世界販売420万台達成」という困難なコミットメント(公約)が盛り込まれていた。この目標に、社内はヤル気…
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ルノーCEO就任後も権力を手放さなかったゴーンの強欲
組織の「腐食」は一度始まると止まらない。それどころか、時が経過するにつれて加速する。日産自動車も例外ではなかった。そして、その腐食を起こし、加速した張本人は、言うまでもなくカルロス・ゴーンである。 …
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社長の肩書をエサに…日本人幹部を“忠犬”にした人心掌握術
2005年に入ると日産自動車では「日本人社長復活」の期待が高まっていた。同4月にはカルロス・ゴーン社長(当時)が仏ルノー最高経営責任者(CEO)を兼務するのに伴い、志賀俊之が新設の最高執行責任者(C…
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ゴーン広報戦略 新聞よりTV出演増やし“アイドル経営者”に
期限延長と翌年度の販売落ち込みを承知の上で新車を集中投入するという「ごまかし」で、中期経営計画の「日産180」の成功を宣言したカルロス・ゴーンは広報戦略も転換していく。最も顕著だったのはテレビ番組へ…
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経営計画「日産180」 目標未達でも“大成功”と胸を張る厚顔
再建計画のパクリというほんの小さな「ごまかし」で始まった「日産リバイバルプラン」だったが、続く中期経営計画の「日産180」では事業にまで「ごまかし」が及ぶことになる。 当時の日産社内で最も懸…
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新経営計画「日産180」で見せたルノーCEO就任への野心
「日産リバイバルプラン(NRP)」が一段落した2002年2月、日産自動車は「サプライヤーミーティング」を開催。挨拶に立ったカルロス・ゴーンはNRPを同年3月に1年前倒しで完了すると同時に、新しい中期経…
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ゴーンの大見えに光明 「コミットメント経営」で世論操作
ルノーによる救済を選択した前任社長の塙義一がまとめた「グローバル事業革新策」を剽窃した「日産リバイバルプラン(NRP)」は、カルロス・ゴーンの手によって大成功を収める。 それもそのはず。ゴー…
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1999年発表「日産リバイバルプラン」にもあった“ごまかし”
カルロス・ゴーンを一躍「名経営者」に押し上げたのが、着任からわずか4カ月後の1999年10月に発表した、経営再建計画「日産リバイバルプラン(NRP)」だった。 NRPでは「2000年度連結当…
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征服者から“改革者”へ…ゴーンの巧みな大手マスコミ操縦
「カルロス・ゴーン?一体、何者なんだ」 初めて彼の名を聞いた自動車担当の経済記者は、誰もが首をかしげたという。 1999年6月、仏ルノーから当時の上席副社長だったゴーンが日産の最高執行…
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26歳でミシュラン工場長に ゴーンは筋金入りの“計算高さ”
日産自動車の救世主とあがめ奉られたカルロス・ゴーン前会長(64)が、内部告発で逮捕に追い込まれた。日産からの内部リークで彼の「独裁者」ぶりが次々と明らかになっているが、ゴーンとは一体何者なのか。その…