“兜町の風雲児”ゼニの哲学
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全財産を失い生活保護を受けていた…中江滋樹の「遺言」
先月20日の早朝、アパートの自室から出火し、中江滋樹は逝った。原因は寝たばこの不始末。数奇な人生を送ってきた中江にしては寂しすぎる幕引きだった。 中江とは取材で知り合って10年になる。変わら…
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最大の恩人はテレ朝専務…倉田まり子との記事もみ消しも
※編集部注 中江滋樹氏の焼死体が2月20日午前、東京・葛飾区の自宅アパートで見つかった。本連載は昨年から続けてきたインタビューをもとにしたものであり、このまま掲載していきます。 ◇ ◇ …
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銀座で知り合った400勝投手・金田正一と漫画家・本宮ひろ志
※編集部注 中江滋樹氏とみられる焼死体が2月20日午前、東京・葛飾区の自宅アパートで見つかった。身元確認作業が行われているが、本連載は2019年から続けてきたインタビューをもとにしたものであり、このま…
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佐川正明や稲盛和夫…東京進出後に広がった経営者との人脈
東京進出後の20代の中江は、政治家や若手経営者に人脈を広げていった。レンタルレコードの「黎紅堂」の大浦清一社長から佐川急便2代目の佐川正明氏を紹介してもらい、その誘いで京都の佐川急便の細川別邸に行っ…
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田中邸で聞いた角栄節「ここでこの国のすべてが決まる」
大物総会屋として名を馳せた木島力也と中江が初めて顔を合わせたころの政界は大荒れだった。田中角栄と福田赳夫の熾烈な覇権争いから自民党内では大平正芳総理をめぐって“四十日抗争”が起きていた。その結果、野…
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第一勧銀や川崎製鉄に影響を持つ「日本一の馬主」の別の顔
株投資で2割の儲けを10回続ければ、持ちガネが倍になるという理論で始めた「ツーバイツー」。それが評判になり、多くの客を獲得したことが商売のスタートだった中江。しかし、「情報社会は東京に本社がなければ…
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借金はないが…今は資金もなく「静かに暮らす」日々
平成10年の「三井埠頭」倒産にからんで、暴力団に「50億円を損させた」と考えた中江。これは殺される、逃げるしかないと海外へ脱出。 銀座の女性と一緒にハワイやロス、バンクーバーなどを転々とし身…
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平成10年の「三井埠頭」手形乱発事件では“死亡説”も流れた
出所後の中江が再び世間をにぎわした出来事のひとつが、平成10年に発覚した「三井埠頭」の手形乱発事件である。業績不振の三井埠頭(東証2部上場・10年倒産)の手形が街金業者に出回り大騒ぎになった。裏にい…
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仮出所後に注目を集めた「ヤハギ」株買い占め騒動の真相
平成4年に滋賀刑務所を仮出所した中江。周りが放ってはおかず、暴力団関係者が一方的に、「自由に使ってください」と置いていった資金を受け、再び相場の世界へ舞い戻ることになった。 平成8年ごろ、麻…
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仮出所した中江滋樹を高級車で迎えた意外な人物とは?
投資ジャーナル事件で懲役6年の刑に服した中江滋樹が滋賀刑務所を仮出所したのは、平成4年10月1日。すでに時代は昭和から平成へと移っていた。 出所した中江を高級車が迎えてくれた。当時のテンポラ…
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3年近い拘置所生活 つかの間の保釈期間は女と遊びまくった
容疑が確定し、中江は警視庁の留置場から小菅の東京拘置所に移送される。 つらい拘置所暮らしが始まった。拘置所に検事が来ることは、もうなかったという。 「ボクが詐欺を絶対に認めなかったのは…
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検察は「中江さんが認めてくれたら日本の政治が奇麗になる」と
昭和60年。東京地検特捜部は、20日間の勾留期限満了まで取り調べを続け、7月10日に5億5000万円の詐欺容疑で中江を東京地方裁判所に起訴した。中江の妻と経理担当の女性社員の2人は、処分保留で釈放さ…
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勾留生活は2年10カ月…詐欺容疑はずっと否認し続けた
昭和60年6月19日に逮捕された中江は、警視庁本部の留置場にある独居房に勾留された。翌日、中江の身柄は検察庁に詐欺容疑で送検され、以来、同63年3月に保釈されるまで、2年10カ月に及ぶ長い勾留生活が…
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1000万円の賞金レースで幹部を競わせ、丸刈りの罰ゲームも
投資ジャーナル時代、独特の人心掌握術で200社、3000人の社員を束ねてきた中江。さらに社員のやる気を引き出すために「賞金レース」というショーを仕掛けた。 「社員の仕事ぶりを見ていると、仕事の…
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独特だった「投資ジャーナル」の人心掌握術 そのヒントは
ここで、中江の人心掌握術について語ってもらう。投資ジャーナルは最盛期、関連会社200社、社員3000人にまで膨らんだからだ。 「ボクは会社の組織を“柱制度”と呼んでいた。当然、ボクが大黒柱で、…
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豊田商事刺殺事件で急きょ逮捕…検察はこう揺さぶってきた
昭和60年、逃避先のヨーロッパから帰国した中江が最初に受けたショックは、三浦甲子二・テレビ朝日専務の死去だった。 「5月10日に三浦の親父が亡くなったことを知って会いに行った。お通夜の参列者が…
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マスコミの動きで逮捕を察知 海外逃避先で家宅捜索を知る
快進撃を続けてきた投資ジャーナルと中江滋樹。その行く手に暗雲が垂れ込み始めたのは昭和59年だった。この年の2月ごろから関東電化が急落し始め、各証券会社も中江銘柄の取り扱いを自粛するようになる。そして…
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政治家への金は10億円 倉田まり子さんには申し訳なかった
政財界に太いパイプを持つ三浦甲子二・テレビ朝日専務の知遇を得た中江は、毎晩のように政治家、財界人の会合に呼び出され、名が知られるようになっていった。 「三浦の親父から『すぐ来い』と電話が来るん…
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“禁じ手”の融資を投じ…毎日2億5000万円が集まった絶頂期
昭和53年、24歳のときに東京・兜町に事務所を構えてから3年目。中江に最初のピンチが訪れる。 昭和56年9月、金融会社との間で関東電化の30万株の受け渡しができない事態になったのだ。それを受…
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田中角栄からは3000万円を突き返された
東京に出てあっという間に億単位のお金を動かすまでになった田舎少年は、お大尽遊びも覚えた。赤坂の料亭「川崎」の常連となり、銀座の高級クラブをはしごする毎日だった。 「ボクは、カードを持っていない…