独特だった「投資ジャーナル」の人心掌握術 そのヒントは
ここで、中江の人心掌握術について語ってもらう。投資ジャーナルは最盛期、関連会社200社、社員3000人にまで膨らんだからだ。
「ボクは会社の組織を“柱制度”と呼んでいた。当然、ボクが大黒柱で、その周りに一定の条件を満たした社員を“柱”と認定して50人選んだ。その“柱”には…
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