伝説のストリッパー 一条さゆりとその時代
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<66>劇場は今や20カ所以下に…ともに衰退する「自由」と「ストリップ」
初代一条さゆりが亡くなって丸16年の2013(平成25)年8月3日、大阪・釜ケ崎で十七回忌のイベントが開かれた。企画したのはストリップ劇場の元興行師で、釜ケ崎を拠点に写真を撮っていたカメラマン、川上…
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<65>戸次公正が付けた「さゆり」とも読める「釋優利」の戒名
1997(平成9)年8月3日に60年の生涯を閉じた初代一条さゆりの遺体は、最後に暮らした釜ケ崎解放会館(大阪市西成区)の1階に運ばれ、頭を西向きにして安置された。その横の調理室では普段通り、炊き出し…
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<64>1997年8月3日、肝不全で1人静かに息を引き取った
「一条さん(初代一条さゆり)が、亡くなったんです」 1997(平成9)年8月3日昼、私は加藤詩子から電話を受けた。加藤は当時、一条を近くで世話していた女性だった。私は一条の取材過程で何度か加藤…
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<63>インタビュー中に「もつかな、もつかな」と繰り返した
インタビューのため私が約束の時間に大阪・釜ケ崎を訪ねても、初代一条さゆりは留守にしていることがあった。 名刺の隅に訪問したことを記し、ドアに挟んで帰ると、彼女は公衆電話から連絡してきた。彼女…
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<62>紐に洗濯物がかれられた釜ヶ崎解放会館の3畳間で初代と初対面
私が初代一条さゆりを最初に訪ねたのは1996(平成8)年5月だった。 この年は年初から、住宅金融専門会社(住専)の処理が社会問題になっていた。全国が好景気に沸いたバブル期に、住専は不動産会社…
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<61>糖尿病と肝硬変で入退院を繰り返し…女性保護司との再会
初代一条さゆりは1995(平成7)年ごろになると、糖尿病と肝硬変でたびたび千本病院(大阪市西成区)に入院している。一人の女性と再会したのは、そんな時だった。 「入院している時、朝早く病院近くの…
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<60>初代・一条さゆりが地元ミニコミ紙「絆通信」に語った釜ヶ崎への思い
1995(平成7)年は1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件が起きた。終戦から半世紀。戦後日本の転換点を印象付ける年だった。 初代一条さゆりが大阪・西成の釜ケ崎解放会館3階に入居した…
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<59>放浪の末にたどり着いた「釜ヶ崎解放会館」の302号室
1991(平成3)年の統一地方選挙(前半)は4月7日に行われている。日雇い労働者の街、大阪・釜ケ崎で大規模暴動が起きた半年後だった。初代一条さゆりは大阪市議会議員選挙(西成区)に立候補した釜ケ崎地域…
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<58>60人の聴衆を魅了した1991年11月21日の南溟寺での講演
南溟寺(大阪府泉大津市)で出家を断られた初代一条さゆりは1992(平成4)年11月21日、この寺で講演している。 浄土真宗の寺はかつて、話し合いの場所だった。村人が集まっては、作物の採れ具合…
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<57>初代一条さゆりが出家し断酒しようと訪れた泉大津の寺
酒を断てない初代一条さゆりが出家しようと訪ねたのは大阪府泉大津市の南溟寺だった。やけどのリハビリを終え、退院してから2年後の1991(平成3)年秋だった。すでにバブル景気は去っていた。 住職…
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<56>退院後は釜ケ崎でバイト暮らし 内臓は酒でボロボロに
1986(昭和61)年暮れに始まった空前のバブル経済で日本社会は沸き立った。 大やけどを負った初代一条さゆりが1年3カ月ぶりに退院した89年10月、三菱地所がニューヨークのロックフェラーセン…
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<55>初代大やけどで重体の報 大阪の病院に駆けつけた2代目
初代一条さゆりが1988(昭和63)年7月27日に大やけどを負った翌日、2代目一条さゆりは、東京から大阪府立病院に駆けつけている。知人のカメラマンから知らせを受け、新幹線に飛び乗った。 事件…
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<54>内縁関係のトラブルで店にガソリン…大やけどの重体に
夫を亡くし、居酒屋を畳んだ初代一条さゆりは、大阪・釜ケ崎でスナックや立ち飲み屋を開くが、どれも長続きしなかった。最初はどっとくる客も、彼女の酒癖の悪さから姿を見せなくなる。 1988(昭和6…
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<53>元役人の夫が自死「あの人、おかしくなっちゃってね」
初代一条さゆりが1986(昭和61)年9月に大阪・釜ケ崎で開いた居酒屋「大ちゃん」の開店資金を出したのは、元公務員の夫である。開店当初、夫は勤め人時代の仲間を誘って店に通い、一条もそれを歓迎していた…
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<52>初代と2代目の歴史的対面 東洋ショー劇場の楽屋を訪問
日本のバブル景気は1986(昭和61)年12月に始まった。前年9月のプラザ合意で急速に進んだ円高による衝撃を和らげようと、日銀が公定歩合を引き下げ、政府が積極財政を取ったことで異常な好景気となった。…
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<51>初代が知らなかった萩尾なおみの「2代目」襲名
ストリップ界には、歌舞伎や落語のような名跡はほとんどない。「2代目」のいる一条さゆりは、その意味でも特別な存在だ。 2代目を襲名したのは萩尾なおみである。1980年代前半、日活ロマンポルノに…
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<50>大阪に戻り宴席で出会った13歳年上の元役人と再婚
九州から大阪に戻った初代一条さゆりは1978(昭和53)年の一時期、食堂で働いている。フェミニズム運動の女性たちが、天満で営んでいた「もりもり」という店だった。 一条が客としてやって来たのが…
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<49>店を閉めたのち「運送屋の社長」と三角関係で警察沙汰
大阪・末広町の店を閉めた初代一条さゆりは、店の客だった男性と付き合い、それをきっかけに恐喝未遂事件に巻き込まれている。この男性のことを、一条は私に「運送屋の社長」と説明していた。 「運送屋さん…
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<48>自分のやったことを棚に上げタクシー会社を訴える
初代一条さゆりがスナックなど2店を開いた直後、深江誠子は店に一条を訪ねたことがある。女性解放運動の闘士で、裁判中から一条を支援していた女性だった。 一条は忙しそうに2店を飛び回っていたが、深…
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<47>死ぬ気もないのに痴話喧嘩で「自殺未遂」を繰り返す
ロッキード事件で東京地検が前首相の田中角栄を外為法などの疑いで逮捕したのは1976(昭和51)年7月27日である。田中は当時58歳。 この3週間ほど前、初代一条さゆりはタクシーにはねられ重傷…