伝説のストリッパー 一条さゆりとその時代
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<6>時には愛人、時には母親としてファンに語りかける
「おっちゃん、よう見えるか。こんなんでよかったら、じっくり見てな」 初代一条さゆりは舞台で、陰部を突き出しながら、客に声を掛けることが珍しくなかった。埼玉県出身でありながら、言葉はすっかり大阪…
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<5>「看板」踊り子に押し上げた「ロウソクベッドショー」
デビューから3年ほどすると、初代一条さゆりは本格的に踊りに打ち込むようになり、さらに2年で「看板」踊り子となっている。 彼女の名を高めたのはロウソクベッドショーだった。舞台に敷いた布団に横に…
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<4>一条さゆりの芸に哲学みたいなものを感じた藤本義一
作家の藤本義一はテレビ番組や雑誌の対談を通し、初代一条さゆりと交流を持った。藤本は生前、彼女の芸について、私にこう語った。 「ストリッパーは放浪するんだ。回遊魚のように、全国をヒモみたいな男と…
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<3>小沢昭一は「虚構を作り上げる一流の人」とほれ込んだ
著名人にも、初代一条さゆりの芸にほれ込んだ者は少なくなかった。その代表格が役者の小沢昭一である。彼女の舞台を繰り返し見て、彼女が公然わいせつの罪で収監されたときには、刑務所で面会している。 …
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<2>彼女の子宮に客がのみ込まれたような一体感
「あか抜けないな」 引退公演で日舞を踊る初代一条さゆりを見ながら、一色凉太(79)は思った。 彼女は女賭博師や三味線弾きの股旅もの、フレンチカンカンやアクロバットなど計26種の演目を持…
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<1>惜しげなく身をさらす「特出し」伝説の踊り子引退公演
沖縄の本土復帰(1972年5月15日)直前、一人のストリッパーの引退公演が大阪で開かれた。初代一条さゆり。惜しげもなく身をさらす「特出し」で、伝説となった踊り子である。 宣伝用の赤いチラシに…