伝説のストリッパー 一条さゆりとその時代
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<26>一条さゆりの実刑判決に各方面から上がった抗議の声
実刑判決を受けた初代一条さゆりは、そのまま車で大阪拘置所に移送された。最初は複数の人間がいる部屋に入ったが、すぐに一人にしてもらえた。コンクリートの上で正座していると、冷気が体を凍らせ、気持ちがすさ…
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<25>懲役1月実刑判決に傍聴席から「裁判官こそわいせつ」
初代一条さゆりが引退公演で逮捕されてから7カ月。1972年の師走は騒がしかった。至る所で選挙カーが候補者の名前を連呼していた。首相の田中角栄が日中国交正常化の成果をひっさげ、衆議院を解散しての選挙だ…
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<24>小沢昭一の持論 官憲の取り締まりが芸能を前に進める
初代一条さゆりの公然わいせつ事件での公判が続いていた1972年当時、警察や検察は、わいせつに対する取り締まりを強化していた。一方、全国各地の大学学園祭では、日活ロマンポルノが上映され、ポルノ女優の人…
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<23>マフラーとサングラス姿で裁判を傍聴した20人の女性
公然わいせつを巡る裁判は1971(昭和46)年から翌72年にかけ、各地で起きている。その中でも初代一条さゆりの裁判を特徴付けたのは、女性たちによる支援だった。 ■「踏んづけられた人」を支援 …
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<22>公然わいせつ裁判「ロマンポルノ出演」で審理やり直し
初代一条さゆりの公然わいせつ裁判は、第2回公判(1972年8月9日)で検察側が懲役6月を求刑し、あとは判決が出るだけとなった。 しかし、ここで問題が起きる。日活ロマンポルノ「一条さゆり・濡れ…
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<21>反権力の象徴に困惑…おカミに盾つく気はサラサラなく
引退公演中の1972(昭和47)年5月7日、公然わいせつ容疑で逮捕された一条さゆりの初公判は6月23日、大阪地裁で開かれた。野坂昭如が編集長を務める月刊誌が「四畳半襖の下張」を掲載し、わいせつ文書販…
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<20>1972年5月の引退公演7日目、舞台を下りたところで逮捕
初代一条さゆりの引退公演(1972年5月1~10日)は7日目に入った。噂されていた警察の手入れもなく、連日の大賑わいだ。劇場近くには茶道教室があり、若い女性が出入りする。ストリップファンがこれだけ押…
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<19>実刑のリスクを冒して引退興行…ギャラは破格の2万円
大阪万博が開かれた1970(昭和45)年ごろになると、ストリップ業界における初代一条さゆりの名は、強い社会性を伴うようになっている。度重なる逮捕によって学生運動の闘士たちから仲間意識を持たれていく。…
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<18>ロマンポルノ摘発も…執行猶予期間中もテレビに出演
初代一条さゆりは1971(昭和46)年、33歳で引退を意識しているが、周りがそれを許さなかった。 「劇場からは辞めるなって言われるし、(内縁の)夫からも、せめて自分が店を持つまでやってくれと言…
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<17>道後で温泉芸者をしていた頃に内縁の夫と知り合う
アジアで最初の五輪が東京で開かれたのが1964(昭和39)年10月である。初代一条さゆりは神奈川県の劇場に出演中、楽屋のテレビで開幕式を見た記憶があった。 「踊りに必死で、オリンピックのことな…
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<16>「誰にも負けたくない」生き残るため全部見せるように
戦後直後にストリップ界を牽引したのはジプシー・ローズだった。昭和20年代に「ストリップの女王」と呼ばれ、版画家の棟方志功や作家の永井荷風をもとりこにしている。 ローズは腰をぐるぐる回す「グラ…
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<15>デビューから5年 公然わいせつ容疑で初めて逮捕された
日本で初めて高速自動車道路が開通したのは名神高速道路の栗東~尼崎間(71・7キロ)である。運用開始は1963(昭和38)年7月16日。時速100キロで走れる道路の誕生は、日本の戦後復興を印象付けた。…
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<14>京都のイメージと吉永小百合にあやかり芸名を変更する
初代一条さゆりは芸名を「赤羽マリ」から「リオ椿」、しばらくして「一条さゆり」に変えている。「京都」のイメージが付くように「一条」、吉永小百合の人気にあやかり「さゆり」とした。 「デビューして2…
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<13>足が震えてブラジャーも外せなかった新人時代
「赤羽マリ」の名でストリップにデビューした初代一条さゆりは、大きな羽根飾りを頭とお尻に付け、マンボのリズムで踊っていた。ダンスの後半、羽根をはずし、最後は陰部を隠すバタフライ(陰部隠し)ひとつになる。…
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<12>「赤羽マリ」の芸名でストリップデビュー
女優の吉永小百合がラジオドラマ「赤胴鈴之助」でデビューしたのは1957(昭和32)年である。その年の10月、初代一条さゆり(池田和子)は男児を産む。結婚の翌年だった。 長男は夫から1字を取り…
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<11>「デパートのエレベーターガール」と過去を偽り…
サンフランシスコ講和会議で日本が主権を回復したのが1951年9月。翌年4月、NHKラジオで「君の名は」の放送が始まる。 その頃、初代一条さゆり(須藤和子)はほとんど中学には通わず、義務教育年…
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<10>“口減らし”で韓国人家庭に奉公へ 家出しても捜されず
東京裁判で旧日本軍指導者らによる戦争犯罪が裁かれ、A級戦犯7人が絞首刑になったのが1948(昭和23)年。その2年後、北朝鮮が韓国に軍事侵攻し朝鮮戦争が始まる。 ■家出しても捜されず …
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<9>父親は飲んだくれの鋳物師 幼少期に虚言癖を身に付けた
初代一条さゆりは1937(昭和12)年6月10日、埼玉県川口市に生まれた。本名は須藤和子。その直前、近衛内閣が発足し翌月、日中戦争が始まる。日本が壊滅的戦争へ踏み出した時代だった。 川口は古…
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<8>神秘の「しずく」の謎…それは仕組まれた芸なのか?
ファンの気持ちをとらえてはなさなかった初代一条さゆりの神秘の「しずく」。多くの人がその謎を考察している。 あれは仕組まれた芸だと主張する代表格が元ストリッパーで、浅草ロック座の会長だった斎藤…
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<7>駒田信二も感動…彼女の「しずく」は誰もが称賛した
初代一条さゆりの芸を見た人が異口同音に称賛するのが、彼女の「しずく」だった。中国文学者で東京大学講師だった駒田信二も「しずく」に感動した一人である。1969(昭和44)年、週刊誌でストリップについて…