晃が語る「フィンガー5」とその時代
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(5)営業マンになったが成績は最下位…フィンガー5時代のヒット曲を歌うと
歌手をやめて、きょうだいそれぞれ第二の人生がスタートした。当然、住まいもバラバラ。僕はアパートを借りるために父親に30万円ほど借金した。考えてみれば僕らの稼いだ金を管理していたのが父。それなのに借金…
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(4)ロス留学後、かつての勢いを取り戻せず78年にグループは解散
小学生の頃から酷使してきた喉を中学2年の時、変声期が襲った。ハイトーンボイスがかすれて出ない。「口パク」案も出たが、僕らがデビュー以来、貫いていた「口パクは絶対にしない」という方針を崩すことはできな…
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(3)グループの方向性めぐり長男とはたびたび衝突…殴り合いになることも
振り返ってみると「フィンガー5」のピークは1974年ごろだった。その年の2月に初の沖縄凱旋コンサート。3作目の「学園天国」も100万枚突破した。「個人授業」「恋のダイヤル6700」に続いて作詞はヒッ…
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(2)睡眠は1日3時間。自由に使えたお金は月500円のお小遣いだけ
沖縄に帰る準備をしていた頃、音楽業界の人で僕たちに興味を持ってくれた人がいた。「君たちは才能がある。もう一度、やってみないか」と引き留められた。また子供向けの童謡ならやる気はない。「僕らの好きなよう…
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(1)「アメリカ合衆国 琉球政府」のパスポートを持って僕らは上京した
5月15日は沖縄復帰50周年。数多くいる沖縄出身の芸能人の中でも、その原点とも言えるのが、返還の年(1972)にデビューし「学園天国」などの大ヒットを連発した「フィンガー5」だ。5人きょうだいの中で…