(5)営業マンになったが成績は最下位…フィンガー5時代のヒット曲を歌うと
歌手をやめて、きょうだいそれぞれ第二の人生がスタートした。当然、住まいもバラバラ。僕はアパートを借りるために父親に30万円ほど借金した。考えてみれば僕らの稼いだ金を管理していたのが父。それなのに借金だからね(笑)。返す前に父は他界した。いずれあの世で返すつもりです。
住まいが決まり電器屋の営業マンとして始動。髪をばっさり切ってスーツにネクタイを締めて出陣。売っていたのはテレビやステレオだ。しかし音楽しか知らない僕に営業の仕事がうまくいくはずもない。成績ゼロの日が続き、「死ぬしかない」とまで考えた。
見かねた沖縄出身の先輩から「玄関先でフィンガー5時代のヒット曲を歌ってみたら」とアドバイスを受けた。もう恥も外聞もない。8トラックのカラオケで“ヘーイ、ヘイヘイ”と歌うと「本物の晃だ!」と気が付いてくれる人が結構いた。買ってくれた人が知り合いを紹介してくれて売り上げナンバーワンになった。それでも何か物足りず……。不動産屋、住宅のセールスマン、大工など職を転々とした。三男のスナックでも働いたけど、兄弟だと甘えも出る。最後はクビになった。仕事に打ち込めない背景にはやはり音楽のことがあった。そして「やっぱり自分には音楽しかない」と復活を決意。フィンガー5の解散から24年、2002年にソロで活動を再開した。41歳の時だった。