(4)ロス留学後、かつての勢いを取り戻せず78年にグループは解散
小学生の頃から酷使してきた喉を中学2年の時、変声期が襲った。ハイトーンボイスがかすれて出ない。「口パク」案も出たが、僕らがデビュー以来、貫いていた「口パクは絶対にしない」という方針を崩すことはできない。
次に出てきた案が「変声期を遅らせるため女性ホルモンを打つ」というものだった。これは僕の意思が最優先される。悩む間もなくきっぱり断った。クスリで無理に抑えることに抵抗があったのだと思う。
悪い時は悪いことが重なるものだ。僕だけでなくきょうだい全員の体も蓄積疲労でボロボロになっていた。それでもスケジュールは先々まで決まっている。グループ活動そのものを考え直す時期が来ていた。ある夜、行われた緊急家族会議。父親がきょうだい全員を座らせこう切り出した。
「六本木にマンションが建つ金があるけど、この金でアメリカに休養も兼ねて音楽留学もできる」
仕事継続か米国留学か、二者択一の提案だった。全員一致で「留学」を選択した。「今のハードスケジュールから解放されたい」思いはきょうだい一緒だった。