佐高信「追悼譜」
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”大鵬キラー”と呼ばれた元関脇・明武谷 晩年は「エホバ」信者だった
ネット右翼のヘイトはアイヌにまで及んで いるが、先住民族のアイヌ初の国会議員となったのが、萱野茂だった。1926年に北海道の二風谷に生まれた萱野は国会の委員会で史上初めてアイヌ語による質問を行い、1…
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鳥山明『ドラゴンボール』はカタルーニャでスペイン語ではなくカタルーニャ語で放映された
『Dr.スランプ』も『ドラゴンボール』もまったく無縁だったから、この世界的漫画家については、最初、書く気がなかった。 しかし、パートナーがカタルーニャ出身の参議院議員、大椿ゆうこと会い、カタル…
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ダイソー創業者・矢野博丈が夜逃げもしてまでたどりついた経営哲学
矢野博丈が1943年4月19日に北京で生まれた時の名前は栗原五郎だった。祖父が親戚の保証人になって莫大な借金を負い、父は医者だったが貧乏人からは医療費を取らないような人で裕福ではない幼少期を過ごす。…
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三井不動産の”ボス”江戸英雄の娘と結婚していた指揮者・小澤征爾の名づけの由来
中国の「9・18記念館」には、他の日本人は許すことができても、この2人は許せないという侵略者の象徴として、板垣征四郎と石原莞爾のレリーフが飾ってある。 小澤の父、開作は歯科医だったが、五族協…
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『噂の真相』の連載仲間だった”毒絵師”高橋春男の痛快なオチョクリぶり
ナンシー関や高橋は『噂の真相』の連載仲間だった。私は彼を毒画家とか毒絵師と呼んでいたが、何度か対談したこともある。早くに引退して気になっていたが、訃報でその消息を知ることになってしまった。 『…
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「悲壮感のある女性が好き」と語った女優・山本陽子の生き方
『俳句界』の「佐高信の甘口でコンニチハ!」というコーナーで山本と対談したのは2019年5月16日だった。 私はテレビドラマの「付き馬屋おえん事件帳」が好きだったので、そう言うと彼女は、 「あれ…
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夫と息子から愛されていたのか、安倍洋子の心境は誰も知らず
その情報は大分県知事だった平松守彦から、もたらされた。平松は元通産(現経産)官僚であり、安倍晋太郎は通産大臣をやったことがある。洋子の夫であり、晋三の父である晋太郎に洋子以外の彼女がいるというシーク…
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女性官僚の会「あけぼの会」をつくった赤松良子の”ヤンチャさ”
「あけぼの会」という女性官僚の会があった。初代の理事長が労働省婦人局長をやった赤松である。この会は1953年春、東大法学部を卒業して労働省に入った赤松が、3年先輩の森山真弓と席が隣り合わせになって、い…
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徐京植も魯迅のように「暗黒」ともみ合ったのかもしれない
『獄中19年』(岩波新書)の著者、徐勝は私と同い年だが、彼は弟の俊植と共に韓国に留学中に政治犯として逮捕され、長い獄中生活を送った。京植は2人の弟である。 京植とは30年近く前に「魯迅の読み方…
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演歌歌手・冠二郎は五木寛之に励まされ、夢を叶えた
五木寛之と対談したのは『俳句界』の2020年1月号でだった。 そこで五木はNHKが懐かしのメロディーとして取り上げる戦後の流行歌について、自分の実感とはズレると語っている。 若いディ…
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井筒3兄弟・寺尾の父親・鶴ヶ嶺もマジメで言葉少ない相撲取りだった
「ドキュメント 師弟」という連載で、井筒親方と逆鉾を取り上げたことがある。フリーになってまもなくで40年ほど前のことだった。逆鉾は寺尾の兄で、その上にもう1人、やはり力士になった兄がいて、井筒3兄弟と…
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美空ひばりに「歌がうまい子」と言われた八代亜紀には雨の歌が多い
前川春雄は勲章を固辞した珍しい日本銀行総裁だった。その前川が酔うと口ずさんだのが、八代の「舟唄」である。 ただ、この歌が好きな政治家も多くて、小沢一郎や小泉純一郎もそう告白している。 …
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竹入義勝罵倒事件に見る池田大作と創価学会の体質
公明党の元委員長、竹入への『公明新聞』のバッシングは1998年9月28日から始まった。『聖教新聞』も連動したが、「天下の変節男」 「欺瞞の天才」「畜生以下の非道」「銭ゲバ」「ヘビ」等々、すさまじい限…
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西木正明は大事件ではなく「国境」に興味を抱き続けたダンディーなノンフィクション作家
西木は伊集院静と同じく女優と結婚した作家だが、ダンディーでイケメンという点では 西木の方が上まわっていたと私は思っている。 西木が直木賞を受賞した時、『週刊文春』が「この3人に2メートル以…
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ノーベル平和賞を受賞してしまったキッシンジャーで思い出す石原莞爾の神格化
池波正太郎や司馬遼太郎、そして佐藤愛子と同い年のキッシンジャーに私はいい感情を持っていない。 タカ派の中曽根康弘を弟子とする一方で、中曽根と同い年の田中角栄を、アメリカの意に逆らって中国と国…
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山田太一の骨っぽさは『岸辺のアルバム』より前に書かれた『藍より青く』に見えた
『読売新聞』と私の”蜜月時代”があった。特に出版局との関係においてだが、『週刊読売』 に3年間も時評を連載し、それは単行本として刊行された。その過程で私の監修、解説で「戦後ニッポンを読む」というシリー…
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甘利明に傾倒した伊集院静を夏目雅子はどう思うのだろうか
作家の高樹のぶ子と対談した時、高樹の出身地の山口県防府市は種田山頭火の生まれた所だねと水を向けたら、山頭火は高校の先輩だと言われた。同じ防府高校の後輩が伊集院である。笑いながら、 「誰がいちば…
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田淵義久が社長を務めた野村証券より厚かましたかったのが大蔵省だった
私が監訳者となったアル・アレツハウザー著『ザ・ハウス・オブ・ノムラ』(新潮社) は1991年夏に刊行されたが、その前の年の秋、証券取引所のある東京の兜町や大阪の北浜で、北島三郎の歌う「与作」の替え歌…
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池田大作のボディーガードをしていた後藤組・後藤忠政の正論
池田を「人間の仮面をかぶった狼」とまで罵倒したのは前首相の菅義偉である。 1996年の総選挙で神奈川から立候補した菅は相手が創価学会出身の現織だったために、そんな激しい攻撃をした。 …
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「ワイはアサシオや」にも描かれた元大関・朝潮は相撲界に欠かせない力士だった
私たちの年代では「アサシオ」と言われると、胸毛の濃かった先代の朝潮太郎を思い出す。横綱までいったが、強い時と弱い時の差が激しく、”2人の朝潮”がいると不思議がられた。徳之島出身で、高砂親方としては高…