佐高信「追悼譜」
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『マリリン・モンロー』を書いた東大教授・亀井俊介に影響を与えた師匠とは
1987年夏、岩波新書で『マリリン・モンロー』が出た。筆者は亀井である。東大教授が世界のセックス・シンボルについて書いたというので話題になった。それもおカタイ岩波からの刊行である。 「マリリン…
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鈴木宗男に秘書として仕え、振り回されたムルアカの「悲劇」
急死した鈴木宗男の秘書ムルアカに『ムルアカ・クレッシェンド』(モッツ出版)という本がある。これを手がけた高須基仁はこの本について「かつて優しい眼差しだった彼は、日本での差別体験や、宗男騒動に巻き込ま…
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「布川事件」で冤罪を晴らした桜井昌司の死で思い出したのは弁護団長の柴田五郎だった
『ショージとタカオ』というドキュメンタリー映画があった。1967年に茨城県利根町布川で男性が殺害された「布川事件」で強盗殺人罪に問われた桜井昌司と杉山卓男が冤罪を晴らすために闘い、再審無罪を確定させる…
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生き残った野見山暁治、戦死した岡部敏也…戦争が2人の画家の人生を歪めた
洋画家の野見山が102歳で亡くなった。1920年に生まれて兵隊にとられ、旧満州から奇跡的に生還した野見山は、常に生き残った者の葛藤を抱えていたという。自分より何倍も才能のある仲間が死んでいったことを…
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ロックシンガー「頭脳警察」のPANTAは「人なつっこい孤高」だった
フォーク・シンガーの中川五郎は「サタカさん、反戦集会などで会っているはずですよ」 と言うが、ロック・シンガーのPANTAと言葉を交わした記憶はない。 フォークとロックの垣根を越えてPANTA…
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「こども電話相談室」で知られる無着成恭の目からウロコを落とした人
「こども電話相談室」で知られる無着成恭は、藤沢周平と同い年で同時期に旧制山形師範(現山形大学教育学部)に学んでいる。 青年教師の無着を一躍全国的に有名にしたのは『山びこ学校』(百合出版)だが、…
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『ポパイ』『ブルータス』初代編集長、マガジンハウス元社長・木滑良久で想う”軟派”と”硬派”
1967年冬、直木賞を受賞した五木寛之は、当時住んでいた金沢で記者会見をし、 「ぼくは、直木賞をもらったら、第1回目の週刊誌連載は『平凡パンチ』でやりたい、とずっと考えていたんです」 と…
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森村誠一は『悪魔の飽食』への右翼の攻撃に一歩も退かなかった
2012年秋に私は『飲水思源』(金曜日、のちに『メディアの怪人 徳間康快と改題して講談社+α文庫)という徳間伝を出した。その出版記念会で森村は私と対談をしてくれたが、それが最後の顔合わせになった。 …
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「反逆の人生」を生きた音楽プロデューサー小西良太郎に会いたかった
この人には会いたかった。テレビの歌番組で飄々と語る風情に惹かれ、演歌についてじっくり話したいと思っていたのである。一緒に出ていた吉永みち子に尋ねたら、番組以外では話したことがないということだったが、…
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「ペンタゴン・ペーパーズ」を世に問うたD・エルズバーグのような内部告発者は日本にいるのか
『噂の真相』は2000年の6月号で、当時首相だった森喜朗が学生時代に売春防止法違反で検挙されていた疑惑を報じた。それを書いた西岡研介の『「噂の真相」トップ屋稼業』 (河出文庫)に、西岡が裏を取ろうとし…
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”財界の青年将校”と呼ばれ、安倍家と姻戚を結んだウシオ電機設立者・牛尾治朗
大学が荒れた1969年、日本青年会議所会頭として牛尾は軽井沢の経営者セミナーで、 「若い従業員のエネルギーを吸収しないと企業にもゲバ騒ぎが起きるだろう」 と警告を発し、それが当たって引…
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映画『日本暗殺秘録』には中島貞夫の「常識に反逆する血」が流れていた
中島は脚本も書く映画監督だった。たとえば『日本暗殺秘録』は笠原和夫と中島の共同脚本である。笠原は『仁義なき戦い』の脚本家として知られるが、その笠原の『破滅の美学』(幻冬舎アウトロー文庫)によれば、「…
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野中広務が怒りを露わにした…”政治屋”青木幹雄の実像
1989年4月26日朝、時の首相、竹下登の秘書、青木伊平が首を吊って自殺した。竹下の金庫番といわれた青木の死はリクルート事件による疑惑で追いつめられていた竹下を救うことになったが、また、竹下の元秘書…
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上岡龍太郎には桂米朝と共通する「品のある笑い」があった
テレビ番組で一度同席しているはずなのである。しかし、それがどんな企画でだったのか思い出せない。言葉をかわしたのかも覚えていないが、静かで品のある印象だった。 父親が人権派の弁護士だったという…
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「料理の鉄人」故・陳建一を育てた麻婆豆腐の母…“鉄人なんて言われていい気になるな”の格言
吉永みち子の『麻婆豆腐の女房』(光文社知恵の森文庫)は陳建一の母、洋子を描いた本である。洋子はNHKの「きょうの料理」で知られる陳建民の女房だった。 この本を基にNHKでドラマが放送された。…
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奈良岡朋子は年を重ねても艶を失くさなかった稀有な俳優だった
従弟の結婚式から半世紀経ったいまでも、奈良岡のスピーチの語り出しが忘れらない。 「役者は脚本がなければセリフが言えないんですが・・・・」 その後をどう続けたのかはまったく記憶に ないの…
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住友銀行を暴露した國重惇史はネアカで無手勝流だった
ベストセラーとなった『住友銀行秘史』(講談社)の著者で元同行取締役國重惇史は、鼻と口に大きなアザをつくって現れた。酔っ払って転び、大地とキスして30針も縫ったというが、額面通りに受け取ることはできな…
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詩人・富岡多恵子は安易に「女性」に逃げこまなかった
この「追悼譜」第5回で世界的バイオリニストで声楽家の佐藤陽子を取り上げた時、池田満寿夫のパートナーだった佐藤を私は「外交官だった岡本行夫の前妻に過ぎない」と書いた。池田のことばかり触れられて、私と同…
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美空ひばりの歌声に震えた「バナナ・ボート」のハリー・べラフォンテ
1927年生まれのベラフォンテは城山三郎や藤沢周平と同い年だった。キング牧師と知り合って、その活動を支援し、南アフリカ大統領のネルソン・マンデラとも親交を深めた。 10歳下の美空ひばりとのこ…
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逆境を活かし外資系を生きた日本IBM”中興の祖”椎名武雄の淡々さ
「平松組」というのがあった。通産官僚から転じて大分県知事となり、一村一品運動で鳴らした平松守彦を中心とするグループである。経営学者の野田一夫や平松と同郷の筑紫哲也、多摩大学学長の寺島実郎、そして椎名ら…