田中秀征 政界回想寸話
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なぜ今、石橋湛山なのか(4)超側近から聞かされた稚気溢れる人柄と「自分が適任」の自信
石橋湛山は、昭和48(1973)年4月25日に88歳で永眠した。私はその訃報に接してじだんだを踏むことになった。湛山に会う機会が与えられていたのに会うことができなかったからだ。 私は当時、師…
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なぜ今、石橋湛山なのか(3)大波乱の政治生涯…落選するも無議席で蔵相に抜擢される
石橋湛山は戦後初の衆議院総選挙(昭和21年4月)に自由党公認候補として東京の選挙区から出馬するも惨敗する。 彼が小日本主義を主張したり、昭和初期の金解禁論争で正論を掲げて戦った唯一の人だと知…
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なぜ今、石橋湛山なのか(2)言論人から政治家へ 「時務を識る」を体現した敗戦直後の演説
「タカの心臓を持ったハト」といわれた宇都宮徳馬元衆院議員は石橋湛山を守る用心棒のように見えた。彼は私が20代の頃から身近に教えを受けたひとりで、若かった私に「時務を識る者は俊傑に在り」と書いた色紙をく…
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なぜ今、石橋湛山なのか(1)石破首相が引用 ごく自然な「湛山ブーム」の広がり
石破首相は所信表明演説で、敬愛する石橋湛山元首相の演説の一節を引用した。 「国政の大本について、常時率直に意見をかわす慣行を作り、おのおのの立場を明らかにしつつ、力を合わせるべきことについては…
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ハマコーさんのこと(4)息子・靖一氏の初出馬に父親が「俺も出る」と言った真意を考えた
ハマコーさんの選挙区は、1993年の最後の中選挙区制の選挙で、息子の靖一氏が継ぐ形になった。以来、小選挙区(千葉12区)での総選挙を含め当選11回を重ね、すでに父のハマコーさんの7回の当選を超えてい…
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ハマコーさんのこと(3)説教ではなく応援「義理がなくてほめたのはアンタだけ」
あるとき、私は議員宿舎で寝ながら新聞を見ていて、驚いて飛び起きてしまった。4年後に私が国会に戻って来てからだ。 どでかい大きさの本の広告。それもハマコーさん著の「たまには誉めてやる」が目に飛…
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ハマコーさんのこと(2)「あの戦争は間違っていた」歴史認識を共有する同志の一人だった
私が初当選して2年後の昭和60(1985)年は、自民党が結成30周年を迎えた年であった(ちなみに今年、自民党は結成70年にあたる)。 このとき私は一念発起して当時の自民党の金丸信幹事長に自民…
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ハマコーさんのこと(1)出会いのきっかけはワイシャツの手首のボタン
“政界の暴れん坊”といわれたハマコーこと浜田幸一元代議士が亡くなって12年も経った。政界を引退して子息に代わってからは30年も過ぎている。それでも破天荒だがどこか魅力的な彼を覚えている人は多いだろう…