なぜ今、石橋湛山なのか(2)言論人から政治家へ 「時務を識る」を体現した敗戦直後の演説

「タカの心臓を持ったハト」といわれた宇都宮徳馬元衆院議員は石橋湛山を守る用心棒のように見えた。彼は私が20代の頃から身近に教えを受けたひとりで、若かった私に「時務を識る者は俊傑に在り」と書いた色紙をくれた。三国志に出てくる言葉だという。以後、私にとっては、この“時務”という言葉が…
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